引っ越し/ベランダの友
●一月のベランダ/苦肉の西向き
とか言ってるが、いざとなったら全員連れていきそうな気もしている。
●一月のその男/さらば、友よ
その日、俺は仕事の合間を見て、枯れてしまった蓮の容器、つまりプラスチックの漬け物桶から泥をすくい上げていた。見たこともない雑草が数種類生え出ている真っ黒な泥は予想外に重かった。死んだはずの蓮が縦横無尽に細い根を張っており、シャベルを突っ込もうとしても頑強に抵抗する。
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引っ越しについては前にあれこれと書いた。ベランダの植物たちのために、俺は住みやすい物件をあきらめ、あれからも日夜新しい部屋を探し続けていたのであった。
それが去年の秋頃から切実な問題になってきた。階上の大家の部屋から、はなはだしい騒音が響いてくるようになったのである。まず子供がバタバタと駆け回る。時には空中を舞い、どしんと音を立てる。椅子は必ず引きずられる。これは子供に限らないから、夜でもギイイと嫌な音に耐えなければならない。きわめつけは大きなスーパーボールらしきものを規則的に床に叩きつける行為である。
驚くべき非常識であった。しかし、相手は大家である。なんとなく苦情も言いにくく、どうしようかと悩んでいるうち、騒音はなお一層ひどくなった。子供はなぜか家にこもりがちで、外で遊ばない分、家の中を全速力で走る。しまいにはこちらの部屋が揺れることさえあった。フローリングというのも考えものだなどといらだちを別な方向に持っていくことももはやままならなかった。何が高級マンションだ、馬鹿野郎という気持ちがたかまり(というか、今もだ。今の今も、やつは大はしゃぎで活動している。元気だ。実に健康だ。しかしなぜ親が一言注意しないのだ)、いつ怒鳴り込んでやろうかと日々身構えた。
だが、それが出来ない性格なのである。丁寧な手紙でも書こうかと消極的になってみたり、耳栓をして寝たりしながら(子供は朝が早いのである。しかも、朝一番は猛然と走りたくなるものだ)、俺は悶々とした毎日を送った。
早く引っ越したかった。もう物件について夢のような注文を出すのはやめようと思った。浅草ならどこでもいい、一刻も早く引っ越そう。そう思った俺だったが、決意を固めた次の日にストレスで神経がいかれた。電車に乗っていると突然汗が出てきて動悸が激しくなり、めまいとともに吐き気が起きた。家にいても同じ状態に襲われた。おそらく、パニック性障害であった。
ところが、地獄に仏とはこのことである。そんな時、不意に気に入った物件があらわれたのである。浅草寺が丸見え、遊園地丸見え、隅田川の土手も見えるという部屋。俺はすがるようにしてすかさず契約を交わした。すぐに越すための手はずも整えた。
今住んでいる部屋の不動産管理会社に事情を言い、大家に交渉してもらうよう頼んだが、相手には二重払いを差し引くつもりはないと言われた。おそらく管理会社は大家の機嫌をそこねるのをおそれて、何も伝えてないのだろうと思った。なぜなら、それ以後も騒音は続いているからである。
ともかく、俺はこうして糞いまいましい世田谷を去り、天国のように燦然と輝く下町に舞い戻ることとなった。だが、ひとまず安心してみると植物どもが気がかりになってくる。まず、ベランダは西向きなのである。しかも、これまでより若干狭いのだ。俺が神経症で倒れるよりはましだとはいえ、今まで以上に工夫が必要とされてくる。
幸い、三方が窓だから光と風は十分である。風呂にも台所にも小さな出窓がある。あれをここに置いて、これをあそこに吊してと今俺は間取り図を見ながら植物大移動計画に余念がない。
とは言いながら……結局かなりの鉢を処分することになりそうで俺は弱っている。置き場の問題というより、引っ越し屋の気持ちを考えてしまうからだ。一本ひょろりと草が出ているだけのバジルやら、にんにくだの葉ネギだのどうでもよさそうな植物を植え込んだやたらに大きな鉢、あるいは枯れてしまった蓮の復活を心貧しく待たれている泥の塊。そんなものを丁寧に運ぶ青年たちのことを想像すると、ひどく心が痛んでくるのである
……嘘はやめよう。
俺の無意識はようするに、この機会を利用して捨てられずにいた鉢を整理しようと考えているのである。咲かなくなった胡蝶蘭を葬送し、拾ってきたのはいいがもうすっかり葉だけになったオンシジウムを再びゴミ集積場に置き去りにし、いまや単なる枯れ木同然のローズジャイアントに別れを告げ、数々の鉢から集められて肥料を混ぜ入れられた大量の”死者の土”(俺はたらいの中の土をそう呼んでいる)をゴミ袋に入れて、新たなるボタニカル・ライフを始めようと画策しているのだ。
引っ越す部屋の近くに、東南角部屋でベランダ二面という物件があった。たった一日の差で俺はそこを逃した。時間さえあれば、俺はその新たなるボタニカル・ライフにうってつけの部屋を探し続けていたかもしれない。
しかし、こんな状況のもとでは悠長なことも言っていられない。俺の精神の安定のために少し狭いベランダが選ばれてしまった以上、愛する鉢どもには我慢してもらわなければならないのだ。捨てられてゆく者よ、どうか俺を許してくれ。恨むなら階上の大家を憎み、その蔓でやつらをつかみ、その葉音でやつらの安眠を奪い、その花粉でやつらの鼻の穴を覆うがいい。
根を切りながら泥をすくい取ろうとするのだがその粘り強さといったらなく、煙草をくわえて余裕を見せていた俺の手はいつしか真っ黒になっていた。シャベルを突き込む度、しゃくり上げる度、俺は考えもしなかった力を使い、息を切らせた。
両手についた泥はすぐに乾き、また新しい泥を呼び寄せる。そして、俺はついに蓮の生きていたその土地の上に煙草を捨て入れた。もはや手を使うことも出来ず、首から下げていた携帯用灰皿にしまい込むこともままならずに、唇から直接吹き飛ばしたのであった。次々に泥を掘り上げる作業の中でいらだった俺にしてみれば、それは当然のことと言えた。
だが、途端に黒い泥の様子が変わった。いや、俺の意識こそが変わったのだった。たとえ漬け物桶の中の泥であっても、それは蓮の神聖さが息づく土地だった。土地は豊饒で知らぬ草を産み出し、俺を脅かしさえしていた。その土地へと俺は煙草の吸い殻を捨て、しかも急ぐようにして何度も何度もシャベルを突き立てながら泥を掘り返している。
俺はつまり神域をブルドーザーで破壊しているようなものであった。そして、悲しいことにその神域は煙草ひとつで聖性を失ってしまったのだった。一瞬にしてそこはただの泥の塊になり、俺は聖なる場所の情けないほど早い変化とそれを引き起こしてしまったことそのものがいらだたしくて、凶暴な工事人夫になりきり、殺すようにシャベルをふるった。
コンビニのビニール袋で幾つ分あっただろうか、泥をすくい終えた俺は茫然としながら腰を伸ばした。頭の中になぜかあの男の姿があった。このベランダで植物を育て続けていた日々、俺は何度もその男の姿を見た。遠いビルの何階かに住む六十前後の男だった。夏はステテコ姿で自分のベランダに現れ、冬は丹前をはおって鉢どもに水をやる知らない男。
俺たちは互いにベランダに立ち、それぞれを意識し合っていた。どちらかがどちらかの存在に気づくと、どちらも気恥ずかしさで部屋の中に戻った。真夜中にベランダを見ていると、暗い闇の向こうにその男がいたこともあった。やつもまた夜の花に心を奪われていたのだった。
ふた回りほども上のその男は、言葉を交わしたことのない同志だった。我々は互いに狭いベランダにいて植物に目をかけ、何か小さな神秘に触れてはその場に立ちすくんできたのだ。それぞれを煙たがりながらも、俺たちは背中で語り合ってきた。で、そっちはどうなんだ?
蓮の聖域を壊し去り、土のすべてを白いビニール袋に分割し終えた俺は、本当になぜかその同志の姿を思い浮かべていた。そして、驚くべきことに、いや俺の予感通り、その男は遠いビルのベランダに立っていたのだった。いつものように目を伏せて自分のベランダを眺め回すような格好をしながら、しかしやつは確実に俺を見ていたのだ。
さらば、友よ。
俺は親であってもおかしくない年齢の同志に向けて頭を下げた。それは落とした物を見るようなかすかな動きに過ぎなかったが、やつが意味を取り違えるはずもなかった。擦りガラスを張った俺のベランダを見ていれば、しゃがみ込んだ俺が何をしているかくらいはわかるはずなのだ。
少しずつ整理されてゆく鉢を見、土を捨て始めた人間を見て、同志はそのベランダに何が起こるのかを理解する。ベランダーは去り、またどこかのベランダで新しい植物生活が始まるのだ。俺たちは都会の狭い空を見ながら、必ずあちらこちらのベランダに目を向け、そこで営まれるボタニカル・ライフを把握する。鳥には鳥の世界があり、虫には虫の視界があるように、俺たちベランダーには俺たちだけの空間が存在している。
だから俺は、最もよく俺のベランダを見てきた同志にこの文章を捧げたい。
植物の聖域を侵した俺は、またどこかで新しい場所を造り出す。同志の知らないベランダでまた俺は種をまく。
さらば、友よ。