クレッソン/引っ越しとベランダ
●六月のクレッソン/ただ生えるハーブ
●六月のベランダ/引っ越しとベランダ
久しぶりの休日だった。結局、起きたてのぼんやりした頭のままベランダにいた。
Copyright (C) SEIKO ITO , EMPIRE SNAKE BLD,INC. All rights reserved.
スーパーでハーブを見ると、つい手が出てしまうようになった。
もちろん料理のためではない。とにかく植えて水をやるためである。
買ってくる。鉢を用意して土を盛る。指で土に穴を開ける。ハーブの根を差し込む。水をたっぷりやる。
ただ、それだけのことがやめられない。
以前は、そんな育て方は邪道だと思っていた。正直に種から発芽させ、まだひょろひょろのそのヘナチョコ野郎が風にやられたり、太陽の力でへばったりしないように庇護してやり、しかるのちに立派な青年にしてやる。
それが男のハーブ道だと信じていたのである。
ところが、そうやって後生大事に見守っていると、ハーブのやつはなかなか背丈を伸ばさない。伸ばさないばかりか、ちょっとした乾きにもへたばって、鉢のふちに体をもたせかけたりする。甘えてやがるのが腹立たしくて夕方まで放っておいたりすると、てきめんにぐったりする。なんだか朝礼で貧血になってるやつみたいな姿である。
そもそもが雑草であるはずのハーブが、子育ての失敗ですっかり弱い子になってしまうのだ。公園に出してほったらかしにしておけばいいものを、オモチャだらけの部屋に閉じこめて、ジュースばかり飲ませていた報いである。自由を奪われた子供が、我が身を通して親に復讐をくわだてているのだ。
こうして、何度かの失敗を繰り返した俺は、ある日とうとうスーパーでミントとディルとクレッソンを買ってしまったのだった(クレッソンをハーブというのかは知らない。俺にとっての分類だ)。そして、すでに十分に育っているそいつらを土に返してやったのである。
いわば、もらい子である。それも施設で集団育成をとげた立派な子供たちを、俺は青年期途中でひっこぬき、我が家に連れ帰ったのである。少なからぬ罪悪感はありながら、しかし俺は楽な気持ちでいい加減な世話をした。
すると、どうだろう。ディル以外はすぐに根をつけ、ぐんぐんと伸びやがるではないか。隣には種から育てたミントとラベンダーなどがあり、なんだかいじけたような背丈のままでいるものだから、ますます罪悪感が増したものである。はえぬきの選手が活躍しない球団のオーナーはこういう気持ちに違いないと思いつつ、俺は新入りハーブを興味津々で観察し続けた。
だが、どうも不思議なものである。本来使うために育てたはずのハーブを、いつの間にか俺は切れなくなってしまっていたのだ。例の罪悪感のせいだろうか。勝手に途中でもらってきて、勝手に葉っぱを切ってしまうことに抵抗があるらしく、とにかくやつらには天命をまっとうするまで茎を伸ばしてもらいたいと願っている自分がいたのである。
やつらは伸びに伸びた。時には、てっぺんに花をつけたりなんかしながら、もう勘弁してくれと言いたくなるほど育った。
その間、俺はまったく手を出せずにいた。
見事な緑色の葉を広げるミントや、肉の横に添えさえすれば最高の脇役ぶりを発揮するだろうクレッソンを見ながら、俺は我慢を続けなければならなかった。
出来たら枯れて欲しかった。枯れてくれさえすれば、俺はすべてを初めからやり直し、心を鬼にして次々にはさみをふるうことが出来る。だから、諸君、もうそんなに健康そうに枝を増やさないでいただけないだろうか。
俺はそうやって、複雑な心境のまま時を過ごし、そしておそらく無意識的な水やりの忘却などによって、彼らが枯れるのを見た。
だが、人間とはなんと奇妙な生き物であろうか。彼らが自然に滅びていくのを見終わった瞬間、俺はこんな風に思ったのだ。
なんと薄情な自分だったことだろう。俺はもう二度と彼らを枯らしてはならない。もし万が一枯れたとしても、俺は何度となく彼らの継承者を探し出し、我がベランダに“もらい子ハーブの園”を作るのだ!
こうして俺は、筋の通らない欲求につき動かされ、鉢が空いていればすぐにスーパーをのぞくようになってしまったのだった。彼らを枯らしてしまったことを悔い、その負の感情を補うために常に自然で健康な雑草が生えているよう努力する。当然、料理のためにその葉を切ることは絶対に許されない。つまり、俺はまったくなんの益にもならないことを永遠に続けるはめにおちいったのだ。
またひとつ、抜け出せない地獄を俺は作ってしまった。
花が落ちてからずいぶん経つ胡蝶蘭のために水苔を替えてやり、例のアルストロメリアから野性的に伸びた枯れ枝を切ってやると、いまだに咲く気配のないムクゲについたアブラムシどもに防虫スプレーを浴びせかける。
かつては雛鳥などと呼んでいた小さな球根たちは、一度弱々しい花を開いて以来すっかり枯れて土にへばりついており、俺が長い間世話を怠っていたことを認識させる。腐って跡形もないことが明らかなユリの球根とともに、そいつらを死者の土の中へ葬ろうとすると、しかし小さな球根たちは崩れることもなく潜んでいて、俺の心を打った。
ミントは高々と天を目指し、頂点で三角錐に似た形を作って、その周囲に薄い紫色の花をマフラーのように巻き、すまし顔で風に揺れている。同じく俺の目を引くのは、今日花を開いたベルフラワーである。
三年の間、たいした世話もしていないのに、この小鉢に植えた植物は必ず梅雨の頃に咲く。花は子狐の耳を思わせるように軽くとがった形で紫の五弁。今はまだ、たったひとつの花だが、後に続く者たちはすでにびっしりと蕾に変わって宙を刺し、内部に潜んだ紫をうっすらと感じさせながら時を待っている。そう長く咲くわけではないので、この花は目立たない。目立たないけれど、欠かさず咲くことで俺の心に残る。
こうして、数々の鉢に手を入れ、雑草にさえ肥料をやりながら、じっと俺は引っ越しについて迷っているのだった。今年の正月、毎年の行事として浅草寺に参った時、なぜか俺は唐突に浅草に住みたいと思ったのだ。住まなければならないとまで考えたのを覚えている。
生まれたのが東京であるせいか、俺はこの都会で住む地域にこだわったことがない。どこに住みたいかという憧れがなく、ただゴミゴミしていて夜が静かな場所であればいいと思っていたのだ。
それがどうしても浅草に住みたくなった。もともと大好きな場所ではあり、昔近くに数年住んでいたのだが、それにしても強烈な思いであった。生まれ育ったのは柴又の隣町。そのせいでにぎやかな寺の風景が懐かしいのかもしれなかった。いや、柴又と浅草ではまるで風情が違うから、俺は浅草のど真ん中に住むことへの理由なき欲望に目覚めたことになる。
あたりに住む知り合いにも頼んで、この数ヶ月物件を探し続けた。出来れば隅田川が見える場所。つまり、春は桜が厚く咲き乱れ、夏には花火の真下にいられるような家。そして、何よりもベランダが広いところ。
時たま、これはという物件が出た。俺は疲れも忘れて、仕事の合間に見に行った。だが、必ずどこかが気になった。ベランダが広ければ西向きで川が見えず、桜も花火も見える絶好の家なら前の道路にびっしりと浮浪者の方々が連なって寝ていた。毎日ビルの中にある大浴場に入れるという最高の変わり玉で、数年前から気にしていた物件にも空きが出た。しかし、部屋の間取りの使い勝手がどうにもよくなかった。素晴らしく広い上に水撒き用の蛇口まであるベランダは、残念なことに完全な西向きだった。
他にもいくつか条件のいい部屋はあった。だが、俺は必ず最終的にベランダを気にした。西向きのベランダしかない場所では、植物たちが疲弊して死んでしまう。また部屋は広いけれどベランダが狭い場所は、最初から除外しなければならなかった。いわば猫を飼っている人間が引っ越しにくいように、俺もまた植物たちのせいで可能性を限定しなければならないのだった。
だが、だからといって植物どもを重荷に感じるようなことはなかった。捨ててしまおうと思えば、やつらは悄然と死に向かい、文句ひとつ言わないだろう。その素直さゆえに、俺はますますやつら中心に引っ越し先を選びたくなるのだ。
黙って育ち、俺に知らせることもなく花をつけ、どんな過酷な条件でも生き抜こうとしながら楚々とした顔で太陽の方を見ている植物どもは、決して俺に依存していない。動物のようにエサをねだり、不快を快に変えようと動き回ったり鳴いたりすることもなく、自分の生死を自分だけに頼って過ごしているのだ。むしろ、俺の方こそやつらに依存しており、緑のないエランダに恐怖を感じているのである。
今、北と南にベランダのある物件を見つけ、俺は引っ越しに傾いている。川は見えないだろう。花火の見える可能性も低い。だが、それら浅草の好条件を差し引いても、俺はなんてことのない毎日を植物に支えて欲しいと願っている。それは抜き差しならない俺の願いなのだ。
こいつらのいない生活など、俺にはとうてい考えられない。