APRIL

窓際一族の豹

●四月のアルストロメリア/窓際一族の豹「(1997,4,17)

 今、俺が住んでいるマンションのリビングには出窓がある。出窓というと、金曜日の妻たち的な品のないプチブルジョアをイメージする輩も多いが、俺にとって出窓ほど素晴らしいものはない。
 もちろん、鉢を置けるからだ。
 真西に向いたハンディのある出窓ながら、この場所は幾多の植物を輩出してきた。真夏には相当の体力を要求されるが、それ以外の季節には光を浴びるのにうってつけのポイントなのだ。
 外から曇りガラス越しに見えることもあって、俺は人の目を楽しませようといつでも大きめの鉢を置く傾向がある。
 先月は紫のクレマチスを買ってきた。だが、これは失敗だった。薄い羽根を風になびかせて飛ぶ蝶のような花が気に入ったのだが、散り際が汚いのである。
 しおれてきたなと思ったら、いきなりバラバラと散る。花ばかりかメシベも何も、それこそちょっとした拍子にバラッと崩れ去ってしまうのだ。庭のある植物主義者にとってはそれも肥料のひとつとして看過出来ようが、こちとら都会のベランダーである。あちこちに散る花は掃除もやっかいで、始末に終えない。
 種をつける前に次々と切ってやれば、また数カ月後に咲くという強さがクレマチスの売りだが、その長所が今から憂鬱である。もう出窓に置く気はしないし、かといってベランダで咲かれるのも困るのだ。散った花びらやメシベどもが風に乗ってお隣の領域を犯すからである。このへんがボタニカル・ライフの難しいところだ。
 仕方なく二週間ほど前にアルストロメリアに浮気した。「インカのユリ」と言われる鉢花である。アジサイの変種「墨田の花火」にしようかとも迷ったのだが、結局「インカ」に軍配を上げたのだった。なにしろ俺はペルーという国が好きで、現在進行中の事件に心を痛めているのだ。せめて「インカのユリ」にでも水をやって、祈りに変えたいと殊勝なことを考えたのである。
 ケーナという種類のアルストロメリアは、花びらの数枚に豹を思わせるような柄をまとっている。柄のない花びらはピンク、柄のある花びらは黄色がかっていて、どことなく肉食獣的な野性味を帯びており、かなり長く咲く。この豹らしさがまたペルー好きにはたまらない。あの高山の都市クスコもまた、豹の体をかたどって設計されたといわれるからだ。だから、俺はアルストロメリアを眺めながら、うっとりとインカ文明に思いを寄せているのである。事件への祈りをつい忘れがちなのは、俺の移り気なところだ。
 そうやってうっとり眺めていたアルストロメリアが、ゆっくりと萎えしぼんだあげく、またバラバラと崩れたのにはまいった。クレマチスほどひどい崩れ方ではないにせよ、固くしこったガクを切ろうとハサミを入れると必ず散ってしまうのである。花屋のおねえさんに「これはバラバラ散らないですよね?」と確認してから買ったのだが、聞き方がまずかったらしい。放っておけば確かに崩れずに枯れていくものの、少しでも手を入れようと思ったら自ら崩れていくのだ。
 やはり野生である。人間の手で自由に細工出来ると思ったら大間違いだぜという気概で、やつは長く咲いた花を一気に解散させる。出窓を花びらとメシベ関係で汚してみせ、人間に唾を吐きかけて笑いながら去っていくという感じである。インカから来た屈強で美しいインディオ男は、そのようにして脆弱な東京の俺に何事かを教えているのかもしれない……とでも思わなければやっていけない。
 俺は少しだけ考えを改め、アルストロメリアを今、枯れるにまかせている。咲き乱れ、しぼみ枯れていくインカのユリは、ベランダーの出窓の上で孤高のたくましさを保っている。
 俺が勝手に咲いているのを勝手に見るがいい、そのかわり俺がやがて勝手に死んでゆくのもじっと見ていろ。やつはそう主張しながら、すっかり世話好きになってしまった俺の欲望を嘲笑い、なおも新しい花を用意しているのである。


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