55-5-13(『調停される』の図 12/9)
いやいや、オポジションからしばし離れる前に、『調停される』の中にある図を少し
紹介しておこう。
もう面倒なことは言わないので安心して見て欲しい。
スキャンするのもおそろしいので、なるべく似た形で作ってある。
こうした図が246個あり、最後にはパラフィン紙状の薄紙に刷られた美しい図が数
個付く。『調停される』はそういう本である。
55-5-11に示したLocockのスタディがこうしてくわしく分析されていく。 捩れた鏡像状態にあるふたつの囲み、“死活線”をめぐってデュシャンは語り続ける。 55-5-4で書いた『チェス鏡』はこういう歪みに関係がある。
じっと見ているとまるでタブローのようだ。
キュビスムもまた、こうやって世界を『チェス鏡』に映す思想ではなかったか。 自分も鏡に正対すれば、何も不思議ではない。通常の鏡の効果である。 だが、盤面に正対して、まるで“野次馬”のように状況の全体を見ると(例えば、盤上 の“死活線”を立体にしてとらえると)、ふたつの“死活線”の重なりは奇妙である。 最も前面にあって水平に並ぶKFDHが、遠くの“死活線”では右端でタテに並ぶからだ。 白黒互いの“死活線”の図は捩れて見えてくる。 ピカソの描く女の目がずれているように、左右の“死活線”は同型ながら方向がずれて いるように見える。 この“死活線”の重なりを一枚のタブローの中に封じ込める行為……。 それがキュビスムの、まさに「死活線」ではなかったか。 少なくとも、デュシャンの射影幾何学的な思考はこの図の中に象徴されている。
そもそも、タブロー(絵画)はタブロー(盤)なのだ。
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