ヤゴ
●十一月の生き物/発育不十分
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なんと三日前にも、メダカは孵ったのである。
親が卵を産み終えたのは十月の終わりであった。今年の秋は暖かい日が多く、室内に育った親メダカはついつい産卵を続けてしまったのである。
卵はスポイトで吸われ、いつものように卵専用の小さな容器に移された。さすがに季節外れの卵であるため、そうそう簡単に孵りはしない。俺は何度も水ごと捨ててしまおうと思ったくらいだ。だが、そう思っていると、ほんのときたま晴れた日に極小の子メダカが姿を現すのである。
そして、今月の終わり、完全に水が腐った容器の中で、また一匹、ずいぶんと長く過ごした卵を割ってメダカが躍り出ていたのだ。
十分な注意をしながらそいつを子供の園たる金魚鉢へ移動させつつも、俺は「おそらくは育つまい」と感じていた。夏から数えて卵は数百個あったのだった。それがいまや、十匹に満たない。次から次へと死んでいったのである。
しかも、一九九九年十一月に生きている俺には、例のヤゴについての知識がそなわっていたのだ。
二匹いたヤゴは夏の間に一匹になった。水の流れもない水槽の中で、大きく育った方のヤゴは死んでいた。俺は子メダカのエサ用に買ってきた顆粒を、いまだ生きているヤゴに与え続けた。メダカの卵容器にわけのわからない糸のような虫がわけば、すかさずスポイトで吸ってヤゴ容器に放した。
たいして大きくもならないまま、ヤゴはのんびり水の底で暮らしていた。水垢を掃除させるために、同じく自然にわいて出たタニシを投入したため、ヤゴ自体がエサを食べているかどうかがいっこうに確認出来なくなった。だが、だからといってタニシを引き上げさせれば、あの暑い夏の太陽にさらされてどんよりした水は素早く腐る。ヤゴは死ぬ。
時々水を替えてやりつつ、俺はヤゴを見つめ続けた。毎日何度も奴の容態を見、その度見失ってどきりとした。しかし、ヤゴは必ずどこかに隠れてひっそり生きていた。
うっかりヤゴロクという名前を付けてしまった。死ぬと思っていたから、俺は名付けを控えていたのである。だが、ある残暑厳しい日、生きているヤゴを見て思わず「ヤゴロク」と声を発してしまったのであった。
ヤゴロクの野郎はめったに運動もしなかった。ひたすら藻にしがみついてじっとしているだけである。そして九月が過ぎ、十月に入った。
遅い夏休みで南の島に十日ほどいた。植物やメダカの世話を人にお願いしていたのだが、ヤゴについてはあまりくわしく話せなかった。どうせ死ぬ。どうせ死ぬ以上、いないものとして扱うくらいがちょうどいいと諦めていたのだ。
にもかかわらず、家に帰り着いた俺が一番初めにしたことといえば、ヤゴの様子を見ることだった。ヤゴ用容器の置いてある書斎にバタバタと駆け入った俺は、そこで驚愕の声をあげた。なんと容器に差しておいた太めの割り箸に一匹の糸トンボがしがみついていたからである。
ヤゴロクであった。ヤゴロク以外の誰でもない。やつはあらゆる苦難を経て、ついにトンボになっていたのだ。小さく細い体は緑色に光っていた。メダマは透き通るように美しい。ヤゴロク!と何度も声をかけた。もちろん返事をするわけもない。必死に箸につかまっているのみだ。
しばしその姿を愛でてから、俺はヤゴロクを箸ごとベランダに出した。鉢の土に箸を差し、初秋の夜風にさらす。やがて羽根が乾けばやつは空へと飛び立っていくだろう。俺はそう考えていた。
ところが何時間経ってもヤゴロクは飛ぶことをしなかった。留守を守っていただいた方に御礼がてら電話をかけると、実はヤゴロクはすでに二日前にサナギから孵っていたのであった。つまり、トンボになったままその場所にい続けたのである。
ヤゴロクは飛べないのであった。その事実がわかった途端、俺はなんともしれない切なさに胸をつかまれてベランダに出た。風は冷たかった。急いで箸をつかんだ。そしてヤゴロクを部屋に連れ帰った。
ヤゴ時代にエサを食べていなかったのかもしれなかった。脱皮する時期が遅れてしまったのかもしれなかった。自然ではない暮らしのせいで弱ってしたのかもしれない。あるとあらゆる悪条件を背負いながら、ヤゴロクは必死にトンボになった。だが、もう飛ぶ力が残されていなかったのだった。
翌日もその翌日もヤゴロクは箸につかまったままでいた。そして、気がつくとつかまったまま死んでいた。緑色の光はそのままで、ヤゴロクは命を絶っていたのである。
不憫であった。俺は自分を責めた。見つけたその時に、どこか池にでも放してやればよかったのだった。そうしていれば、ヤゴロクなどと名前を付けられるような不自然なこともなく、秋の空を飛んで虫を食らい、他の仲間と交尾をして死んでいったはずなのだ。
死骸を箸から丁寧に取り去り、指で羽根をつまんでじっと見つめ続けた。続けるうち、自分を責めるやり方が変わっていた。俺はヤゴロクを不自然だと感じていたのだが、その考えこそが不自然だと思ったのである。
夕立で出来た水たまりにもトンボは卵を産み付けてしまうのだった。やがて腐ってしまうようなドラム缶の上の溜まり水にも産む。
急流に産んでしまうこともあれば、軒下に出した金魚鉢にも産むのである。
条件がいつもいいわけではなかった。いや、それだけではない。たとえ条件の整った池や沼に卵を産みつけたとしても、おそらくヤゴロクのように飛べないトンボはいるはずなのだった。
俺たちはたまたま飛べるようになったトンボだけを見て、自然の摂理を感じている。自然の造化の不思議に驚いてみせる。だが、その飛べるトンボの背後には、羽根の不具を余儀なくされたトンボ、足の発育不良を負ったトンボ、それどころかヤゴになることさえ出来なかった一匹一匹がいるのであった。俺たちは“生命の完璧さ”という概念に目をくらまされて、完璧ではなく死を刻印された無数の生命を想像出来なくなっているのである。
それが身体障害を持つ人々を特殊な存在と感じてしまう原因だとしたら、俺たちはつまり生命の多様さを知らないだけなのだ。うちのヤゴロクもまた自然のひとつであり、矛盾の中にいたわけではない。俺はそう考えたのである。
飛んでいるトンボを見ながら、飛ぶことのなかったトンボを思うこと。それはしっかりした観察さえあれば、それこそ“自然”に導き得る感覚なのだった。ヤゴロクの美しい死骸は俺にそのことを教えてくれたのである。
ヤゴロクはいまだに埋められていない。木で出来た南の島の皿の上に横たわっている。教えてくれたことを確かに受け取り、きちんと覚えた頃、俺はヤゴロクを葬ろうと思う。