メダカ、メダカ、メダカ
●八月の大忙し/メダカと幼虫
実は親メダカの水槽の方にはタニシが二匹発生している。
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この夏は忙しかった。
メダカが大変なことになっていたのである。
何度もいうようだが、俺は決して魚ごときに興味を持ってはいなかったのだった。元来水草を育てたいがためだけに金魚鉢を必要とし、だがそこに水を張ったついでに色々あって現在メダカを飼っているのである。
以前書いた通り、俺は生き残りの大メダカ一匹と、新しく御近所から連行された小メダカたちをひとつの水槽にまとめた。信じてはいないが風水上、南側に水を置くべきではないらしく、出来れば水ものをなるべく少なくしたかったからである。
そして、おかげでどんどん卵を生むメダカの世話をしなければならなくなったわけである。なにしろ、『生き物の飼い方』によれば、「離しておいたオスとメスを一緒にすれば、春から夏にかけてどんどん卵を生むよ!」ということだからだ。
こうして数ヶ月の間、俺はメダカの奴隷であった。水槽本体に卵を入れる容器、そして生まれたばかりのチビを移す金魚鉢、さらにスポイトで吸い取ったゴミを入れるコップ(藻のようなものの中に卵がひそんでいる可能性があるからだ)と、計四つの水ものが南側に並んだことになる。
やがて、十数匹を生かしておくことに成功した俺は近所の豆屋さんにそいつらを譲った。次々に譲らないと親メダカはいつまでも繁殖しやがるからである。むろん後続の卵は日々
容器に移される。
だが、ほんの四日家を空けて帰ってみると、チビ用金魚鉢の中にはだいぶ育った一匹(といっても8ミリ程度だが)以外、小メダカの姿が見あたらないのである。死骸が底に沈んでいるわけでもない。これはいったいどうしたことだろうか。俺は数日の間、暇さえあれば金魚鉢の近くに行き、中をのぞき込んではうんうん言って考えたのであった。
そしてある日、俺は水草にへばりついた謎の川エビみたいな生物を発見したのである。やつは透明で細長い体をしており、尻には竹とんぼの羽根をたたんだような三本の尾をつけている。気味が悪いのでスポイトでつついてみると、ぞろぞろっと動き出す。かと思えば異様な早さで泳いでみたりする。
果たしてこいつは誰なのか。何か胸の奥に奇妙な感じがあり、それをも突き止めたいがために俺はいっそう長い時間を金魚鉢のそばで過ごしたものである。くそ暑い昼間にも金魚鉢の横に立ち、熱帯夜の大気にも負けずに汗をだらだら垂らしながらのぞき込み、と俺はその謎の川エビ状を観察し続けた。ほとんど番人である。
そしてとうとう、ある昼下がり、俺の中のモヤモヤが解けたのであった。というか、解けるほどの形に川エビが育ったのだ。
「ヤゴだ! ヤゴだ!」
俺はかなりでかい声で二度叫んだ。聞こえるはずもないのだが、二匹の生物はすでにトンボを思わせるまでに大きくなったその目玉をギョロリと動かした。
なんということであろうか。実は新しい水草を俺は渋谷くんだりのデパートから補給していたのである。おそらく、その水草にトンボが卵を産みつけており、それらが見事に孵ってヤゴとなったばかりか、俺の留守中にかわいい小メダカたちを食ってしまっていたわけだ。
あわてて俺はヤゴをまた別のコップに移した。これ以上犠牲を増やしてはならぬという思いと、小学生の昔のようにヤゴを育て上げてトンボにしたいという熱狂が交錯していたのである。まあ、風水上はさらにゆゆしき事態になったのだが、俺の運命のひとつやふたつ、偶然運ばれてきたヤゴのためなら惜しくはなかった。
義を見てせざるは勇なきなり。何年も思い出していない言葉が口をついたが、何が義で何が勇なのかはよくわからない。ともかく、俺はヤゴ専用コップの前にいて、かつて江戸川を渡って水元公園に通い、友達の岩瀬君と一緒に網でひたすらにヤゴを取った思い出にひたったのであった。
さて、もう御存知の通り、俺の記憶力には重大な欠陥がある。というか、記憶力それ自体がほぼ無いに等しい。したがって、家が酒屋であった岩瀬君がヤゴを大きな酒樽に入れていたこと以外、俺には思い出せないのであった。つまり、ここへきてヤゴに何を与えればいいかがまったくわからないのである。
そこで、いまや俺のバイブルになった『生き物の飼い方』を開いた。しばらくの間、このひと夏の間ずっと疑問だった”蜘蛛の巣の張り方”を学び、暑くて仕方ないので「あんずボー」を食って体を冷やすと、あわててトンボの項へ進む。そこにはミミズとかオタマジャクシとか書いてあった。ひょっとすると、浅草に迷い込んだヤゴのために、俺はどこか池に出かけ、エサを取らなければならないのだろうか。これは生活上、かなりの負担になると思われた。
その時である。俺の頭に抜群のアイデアが浮かんできたのだった。小メダカであった。なにしろやつらは俺の必死の作業によって次々に生まれるのである。しかもヤゴときたら、そいつらを食してそこまで育ったのであった。となれば、ここは小メダカ以外にない。
思いついた瞬間はあまりの名案ゆえに、目の前が白くなったほどである。だが、すぐに理性が働いた。いったい俺は何を飼いたいのか。そして、そのために何を犠牲にするべきなのか、と。あれほどまでにメダカ飼育に打ち込んできたにもかかわらず、ヤゴが現れた途端、俺はそれら小さな魚たちをエサにしようと目論んでいたのである。激しい混乱が俺を襲ったものだ。
翌日折衷案として、小メダカの死骸を与えてみた。ヤゴは振り向きもしなかった。もしかしてと思って煮干しを裂いて水の中に落としてもみた。こちらは臭いせいかかなりの興味をひいたようで、ヤゴは近くまで移動してじっと煮干しを見つめる。だが、どうも食わない。
あと一歩である。俺はあとほんの一歩でヤゴのコップに生まれたばかりのかわいらしい小メダカを注入してしまうであろう。なにしろ餓死したヤゴはかなり気味が悪いと想像されるのである。そんなものを見るくらいなら、愛嬌を振りまいて泳ぎ回る小さな生命を数匹犠牲にすることは許されるのではないか。
義とはおそろしいものである。立場によってそれは正反対の結論を生み、要するに小メダカをきゃつらの鋭い足につかませ、また腹わたをむさぼらせるのだ。
いや、義とかいう問題ではなかった。どうもこれは俺の人間性と興味との戦いなのである。さあ、いつ俺はその行為に手を染めるのであろうか。
まずは明日、自分を犯罪から救うために糸ミミズを飼いに出かけてみたい。それも食わないとなれば、ヤゴのことは以後書かずにいることになるだろう。諸君もその時は俺の家の南側の窓際で何が起きたのかをそっと理解しつつ、涙を流していただきたい。
渋谷のデパートで水草を買うのはある意味危険かもしれない。