FEBRUARY

モミジ/鳩

●二月のモミジ/ドラえもんの打たせ湯(1999,2,24)

 先月書いたモミジの植え替えを今月半ばに行ったのであった。辛抱たまらぬという感じである。
 俺は細心の注意を払った。出来る限りゆっくりと土を掘り起こし、あたうる限りの愛情を注いで小さい方(ドラえもん)を抜き取り、あまりにおそろしいので根から土を叩き取ることもせずに新しい鉢へと移したのである。
 ドラえもんは独立にあたってなんの文句も言わなかった。ノビ太は気づいてもいなかった。現に今もスクスクと伸びているくらいである。
 ところが、新しい鉢にたっぷりと水をやるにあたって、俺はとんでもない間違いを犯していたのであった。植え替えに粗相がなかったことに気をよくして、うっかりしていたのである。
 ほくほく顔でよく日のあたる場所に鉢を置き、土の固さを確かめようと指を伸ばしたその時であった。なにやら土が温かいのである。俺は何が何やらわからなくなった。立ちくらみがしたくらいだ。そんなに妙な温度を保つ土などこの世にない。
 もう一度触れた。やっぱり奇妙な温度である。あっと思った。振り返るとキッチンの水道のレバーが思いっきり「赤」の方にひねってあった。
 直前まで食器を洗っていたのである。かなりの高温で俺は皿だのコップだのの汚れをとっていたのだ。その水、いやはっきり言えば湯を俺は植え替えたばかりの弱いモミジにジャージャーかけていたのである。
 ほとんどその場にくずおれそうになった。大切にしていたモミジ、だからこそ独立させて別天地で静養させんともくろんでいたモミジに、俺はなんとしたことか湯をかけてしまった……。
 すぐさままた植え替えようかとも体は動くが、かえってダメージだったらどうしようという懸念が頭をもたげる。一回の植え替えでも植物は体力を奪われる。とまどう根に向かってあまつさえ湯をかけられたモミジの消耗はいかばかりであろうか。
 絶望の中で俺は土がそのまま常温になるのを待った。ほんの少しだけ冷たい水をかけて中和してみたことを正直に付け加えておく。
 あれは温泉だったのだ。そう俺は自己弁護していた。なかなか背を伸ばさないドラえもんに、俺は温泉治療を施したのである。考えてもみろ、と俺は自らをふるいたたせた。露天風呂の横にはよくモミジが生えているではないか。ということは根は温まっているのである。あたかも冬山のニホンザルが湯につかるようにして、俺のモミジもまたほろ酔い機嫌でいるに違いない、違いないのだ。それ以外に俺のこの苦い後悔を慰める言葉は見つからないのであった。
 あれからもう二週間。ドラえもんの背丈は伸びない。さっき書いたようにノビ太は一人暮らしを楽しみ、五ミリは伸びているのである。しかも、ドラちゃんの新しい葉は心なしか紅葉気味である。おそらく一瞬の熱湯サバイバルを経て、唐突に秋が来たと思っているのだ。
 もしもこれでドラえもんが元気になれば、と俺は深い罪悪感を消すために願っている。温泉治療は他の植物にも応用出来るのではないか、と。少なくとも死にはしなかったドラえもんへの厚い感謝を込めて。
 熱い感謝ではない。

●二月の鳩/招かれざる客(1999,2,25)

 三日前、眠ろうとしていると頭の方で奇怪な音がするのであった。クルックーともポーポーとも聞こえる。なんというか化け物じみていて、しばらくは身を固くしたものである。
 そのうちバサバサッと鳥肌のたつような羽音がして初めて、それが鳩なのであろうと得心することが出来た。それまでのおそろしさといったらなかった。
 起き出してカーテンを開けてみると目の前にそいつがいた。ベランダのふちに留まって、あちこちを見渡している。浅草寺のそばだから鳩が来てもいっこうにおかしくないのである。だが、今までは一羽たりとも訪れはしなかったのだ。
 ベランダに実のある植物が置いてあるわけでもない。まさか葉っぱをついばむわけでもなかろう。エアコンの室外機の近くにいるから、ひょっとすると暖を取っているのかもしれなかった。しきりにクルッポーとか言っている。どうも俺は鳩の鳴き声が好きになれない。それで急いで窓を開けた。鳩はそうあわてる風もなく飛び立った。人あしらいに慣れているらしく、その厚顔ぶりに若干腹が立った。
 見ればベランダのふちのあちこちに糞が落ちていた。これは偉いことになった、と思った。都会のベランダーの中には緑色の網を張るやつがいる。農家でもないのに、あの目玉のやつを設置している者もいる。
 ちなみに目玉のやつというのは「奴」という意味ではない。GUYとかDUDEという意味ではなく、俺は要するにあれを「目玉の風船」という具合には呼びたくないのである。なんというか、その、あれは風船ですか? 風船というものはもっと夢のある物である。空に向かってプカプカ浮かんだり、手の上で遊ばれる種類の物体だ。そこに妙な目玉を描き入れておいて風船と呼ぶ気がしない。それで目玉のやつ、である。自分の中で呼称を曖昧にしておきたいような野暮な感じがある。
 ともかく、俺は緑のネットも目玉のやつも自分のベランダに置きたくないと願ってきた。なにしろ風流でない。空とつながっている植物どもの、その交流を断ち切ってしまうような気がしているのである。鳥や蜂や蝶とも自在に行き来する感覚を、俺は楽しんできたのだ。
 ところが、翌日も鳩は来た。そして、目が冴えて眠れず朝七時に水をまいた今日などは、ついに鳩の野郎が逃げなかったのである。逃げるどころか、俺の水やりを仔細に観察している。目が合った瞬間、思わずこちらが顔を伏せる始末で、どちらがベランダの主権者かさえ不分明なのである。さすがに近づいていくと飛び立ったが、それは巣からエサを取りにいくような余裕ある身のこなしであった。つまり「じき帰ってきますから」といった風で、俺は留守宅をまかされたような気になったのであった。
 鳩はどうも人の腹をたてるように出来ているのだ、と思った。夜中にクルクル言ってうるさい上、いかにもそこが自分の陣地であるかのようにベランダを歩き回る。
 こうなれば俺も目玉のやつの力を借りなければならないのだろうか。ついにベランダ封鎖という事態、戒厳令にも似たピリピリした雰囲気を楽園内に持ち込まざるを得ないのであろうか。
 鳩。
 またひとつ出会ったことのない事件を目の前にして、俺は新鮮な苦労を楽しみ始めている。

      


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