55-5-9(オポジションの研究5 12/2)



 オポジションを考える上で描かれる囲いは、必ずキングにとっての“死活線”をあら わす。キングを囲むこの“死活線”より外に出ることは自らの死を意味する。  また、キングは相手キングによって“死活線”を破られてはならない。突破されれば 必ず、自らが時を経ずに死を迎えることを意味する。  死なずにいるためには決められたマス目の上を移動し続けなければならず、そのマス 目の関係は相手キングの位置に依存する。  この依存の関係が「シスター・スクエア」、我々が“双子マス”と呼ぶものである。
 オポジションとはつまり、囲いを破られずにいるための“双子マス”の法則に密接な 関係があり、相手キングによって自由を奪われた永遠のツークツワンクを意味する状態 のことである。
 またも『遺作』をチェス的に考える強力なキーワードが出てきた。 「囲い」である。  あの作品を前にして、穴の向こうにある世界に我々は近づくことが出来なくされてい る。それを我々は壁という物質のせいだと自動的に判断する。だが、もしもそれを「オ ポジション」だと考えてみたらどうなるだろう。 「囲い」を破る方法をこそ、我々“観る者”は考えなければならない。  そう問われているのだとしたら。
「囲い」を破られないために穴の中の世界は、右に行けば左に、左に動けば右にと移動 する。このとき、とらわれているのはどちらか。  穴の中の、囲われた世界か。  それとも、近づけないと思いこんでいる我々の方なのか。
 デュシャンの問いはまたしてもチェスをめぐりながら、チェスの奥にある。
 そしてまた、上記のオポジションの定義は空恐ろしいほど濃密にデュシャンとルーセ ルの関係を示唆しているように思われはしないだろうか……?  こう言い換えてみよう。
『デュシャンを考える上で描かれる「遺作」は、必ずデュシャンにとっての“死活線” をあらわす。デュシャンを囲むこの“死活線”より外に出ることはデュシャンの敗北を 意味する(そして、敗北はフランス語で“チェス”そのものだ)。  また、デュシャンは相手ルーセルによって“死活線”を破られてはならない。突破さ れれば必ず、自らが時を経ずに死を迎えることを意味する。  死なずにいるためには決められたマス目の上を移動し続けなければならず、そのマス 目の関係は相手ルーセルの位置に依存する』
 同時にこのとき、残ったポーンはタルタコーバの存在を僕に想起させてしまう。味方 ポーンはむろんハルバーシュタットだ。基本的にはポーンは黒白ふたつでいいのだから。 『遺作』はその意味で1932年を、デュシャンとルーセル、タルタコーバとハルバーシュ タットが互いにチェス理論を発表した年に関係しているともいえる。  いや、デュシャンが作品化した『chess score』が示す1928年、彼らはすでにチェス の鏡像的数学的な世界について話し合ったことがあるのかもしれない!  そう推理することはチェス的に可能なのだ!!!
 果たしてデュシャンは『遺作』の内側に立て籠もっているのか。  それとも、外からルーセルを囲い込んでいるのだろうか……?  1928年、あるいは1929年(公式記録による)、誰がどちらを攻めたのか。  55-3-5に示した年月のズレは意外に重要ではないのか。  なぜなら、そこでデュシャンの世界がズレた可能性があるからである。  どちらが攻撃でどちらが守備だったのか?  また僕には内と外がわからなくなる。  まるで鏡だらけの世界に閉じこめられたように。      <参考図>


図4

 


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