魔術すれすれ
バリは仮面の宝庫だ。
好きなタイプの仮面がそれこそいくらでもある。
今から十数年前、初めてバリに行ったとき、俺はまず仮面購入用の大きな布袋を買った
ほどである。まず木で出来ていて質がいいこと。そして何よりも造形が恐ろしく、またキ
ュートであること。今そう書いて急に思ったのだが、俺は要するに“妖怪”風味のある仮
面が好きなのかもしれない。おどけていて、しかも怖い存在。
ともかく、初バリで俺は幾つかの面を買い、当時住んでいた家賃二万円の部屋に持って
帰った。中でも5番に掲示してある魔女ランダの面が一番魅力的なものだった。
御存知のようにバリにはバリヒンズーという独特の信仰がある。ヒンズー教と土着の神
が混ざって生まれたもので、ヒンズーの三体の神の他に魔女ランダと聖獣バロンが君臨し
ている。彼らの世界観では善と悪が常に拮抗し続け、どちらが完全に勝つというわけでは
ない。したがって、悪の象徴である魔女ランダを彼らは恐れながらも敬うのである。
目をひんむき、髪振り乱し、長い舌を出す魔女ランダ。俺はなぜか聖獣バロンを買う前
に悪の神を部屋に招き入れたということになる。たぶん、バロンは高かったか、気に入っ
たものがなかったのではないかとも思う。
ともかく、それから十数年。俺はいつかのどから手が出るほど欲しくなるような聖獣バ
ロンにバリで出会うことを夢見てきた。それまでは俺の部屋は悪に傾くことになるからだ
し、実際アジア各地に残る獅子舞の面の代表格であるバロンが欲しかったのである。
そして、五年ほど前だったか。テレビの仕事でバリ各地を回ることになった。ロケ先に
はまさに悪の村、魔女ランダを祀り続ける村があり、コーディネーターのバリ人たちはそ
こに行くことを恐れていた。人をのろうとき、つまりランダの助けを借りたいバリ人はそ
の村を秘密で訪れるのである。
長い年月魔女ランダとともに過ごしていた俺が行くにふさわしい村。そして、善悪の循
環からすれば、ひるがえって善の権化・聖獣バロンに出会うのにふさわしい機会。
夜の真っ暗闇の中で行われた祭りはすさまじいものだった。シュロの葉か何かでふいた
高い台座に魔女ランダを降ろす僧侶がこもる。台座には長いスロープがあり、祭りの頂点
でランダが滑り降りてくる仕掛けになっている。
祭りは仮面劇である。まず、災厄が起きた村の話を再現する。悪い精霊が暴れ回り、収
穫が減り人が病いに倒れるのだ。人々は彼ら悪い精霊をいさめられる唯一の存在、魔女ラ
ンダの出現をこいねがう。そこで一気に聖獣バロンを呼ばないのがバリ的な考え方だし、
その黒魔術の村らしい。
かなりの時間をかけて行われる劇は、なかなか現れない魔女ランダをめぐって紛糾する。
災厄は次々に襲いかかる。またランダは来ない。村人は演技を忘れていらだち始め、やが
て不穏な空気が爆発するとそれまでその中で劇を行っていた人の輪が一気に崩れる。仮面
をかぶっていた者と見ていた者の差が一瞬にして消え、演劇上のいらだちはそのまま村人
に伝染する。
バリ人のトランスがあちこちで始まり、生きたヒヨコを食いちぎる者が出る。魔女ラン
ダを呼ぶために油を口にふくみ、スロープに火を噴きかける者が出る。そこまで来ると見
ている俺までが、魔女ランダの出現をじりじりと待ってしまっている。
そしてついに、ランダの霊を憑かせた黒魔術の僧侶が面をつけて現れる。仮面をつけて
待っていた者は作り物のナイフを使って、暴れるランダを刺す。待ち焦がれていたはずな
のだが怒りのあまり成敗されてしまったのだろうか。ランダは痙攣しながら息絶える。そ
こに今度は聖獣バロンが獅子舞とまったく同じ動きで登場し、村と祭りの場とを清めて回
ることになる。トランスで失神していたかに思えた村人は、そのバロンに触れることで意
識を次々に取り戻していく。それでもまだ意識が戻らない者は、仮面を取った僧侶が与え
る聖水ではっと目を覚ますのである。
この儀式について書きたいことはまだあるけれど、これは面談だ。
こうしたすさまじい祭りを見たあと、俺は泊っていたバンガローに戻った。深夜のこと
である。そして興奮を覚ましながら眠り、翌日バンガロー群の近くにあった仮面工房へと
向かうことになる。
悪はいったん最小限となった。月が満ち、欠けるようにランダの力はこれ以上なく小さ
くなった。聖獣バロンを買うのに最良の日が訪れたのである。そのバリ滞在で俺はバロン
以外の面を買うつもりはなかった。それだけを買いに俺はバリを訪れたのである。
工房には様々な面があった。二日ほどいたのでラインナップは確かめてあった。それで
も俺は迷った。どうも気持ちの通じ合うバロン面がないと思い始めたのである。時間はな
かった。出発時間は迫っていた。
ひとつなんとか好きになれそうな面があった。俺はそいつを家に持ち帰ることにし、紙
で厳重に包んでもらうことにした。工房の人が支払いの際に領収書をくれた。捨てないで
いてよかったと思うのは十五分ほどあとのことだ。
大きな包みを下げてバンガローに戻った俺は、ベッドの上に置いてあったヘッドホンを
デイパックに引っかけてチェックアウトに向かおうとした。ところが、工房に行く前はな
んでもなかったはずのヘッドフォンの一部が割れていた。頭にはさむことが出来なくなっ
ていたのである。
なんでこんなことが起こるんだ?
俺はいぶかしみながらヘッドフォンを捨て、バンガローの玄関まで出た。小さな丸テー
ブルと籐の椅子がある。そこに座って、俺は水を飲もうとした。瓶からコップへと水を注
ぐ。手で持とうとする。すると、どういう勢いかコップがはね、目の前で割れてしまった。
おいおい、お前はバロンなわけだろう?
俺は紙に包まれた面に向かって本当にそう言った。こういうところは俺は実にアニミス
ティックなのである。ごくごく自然に呼びかけたのだ。
そして、呼びかけ終えてからポケットに入っていた領収書を見た。ひょっとして……と
いう根拠のない疑問が形にならないまま胸をよぎったのである。
仮面の値段の横に、はっきりと「randa」と書いてあった。俺は何をどう間違えたのか、
ふたつ目の魔女ランダを買ってしまっていたのである。形は自分がすでに持っていたもの
と違う。だが、それは確かに聖獣バロンとも違っていた。
あわてて俺は小走りになり、あの工房に戻った。そして自分が欲しいのはバロンの面で
ランダではないと息せききって言った。払い戻しをおそれた工房の人は、お前が買ったの
はいい面だと言う。確かにいい面だ、それはよく知っていると俺は答えた。なにしろ俺の
ヘッドフォンを割り、コップをこなごなにしたのだ。
お金はきちんと払うからバロンを見せて欲しいと俺は必死になって言った。すると、こ
こにはひとつのバロンもないと言う。俺は窮地に追い込まれた。力を増しつつある魔女ラ
ンダに対抗できるのは聖獣バロンの面以外にない。
そのときカウンターの後ろの壁に鎮座していたバロン面が見えたのである。革で出来た
耳を含めれば幅一メートルはある面であった。あれを、あれを売っていただけませんかと
俺は頼み込んだ。あれはよした方がいいと工房のバリ人は答えた。あとからわかったのだ
が、左側の角が折れていたからだろうと思う。それは直す前の面だったか、なにかいわれ
のある面だったのではないかと思う。ともかく、その面は篤実そうでいてとぼけた風でも
あるまんまるい目で俺を見下ろしていたのである。
だから、俺は粘ってみた。工房の人が宗教上必要とするものだったら買うわけにはいか
ない。ただ、売ってもいいと思う気がわずかでもあるのなら譲って欲しい。少なくともそ
の面は“お前の部屋に行ってもいいよ”と笑っている気がする。
仮面は売るものの意志よりも買う者との出会いを尊重する。俺はどこかでそう思ってい
る。その聖獣バロンはまさにいい例だ。やがて工房の人たちは“これでいいの?”という
顔で快諾してくれたからである。
こうして、いまや俺の部屋には魔女ランダと聖獣バロンが共存している。
基本的に俺は霊の存在も神の実在も信じてはいない。
けれど、仮面が起こす物語の魔術には抵抗することが出来ない。
この文を書いている間も、何度となくコンピュータが固まった。
そこで、俺はついバロンに向かって「悪い話を書いてるわけじゃないだろう!」と叫ん
だのである。途端に快調だ。
俺はこういう偶然が嫌いじゃない。
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