SEPTEMBER

酔芙蓉

●九月の酔芙蓉/紀州と東京(1999,10,04)

 お盆に買った酔芙蓉の花芽を枯らし、しかし復活させたのである。
 酔芙蓉は朝、昼、晩と花の色を変える植物である。最初は白く、次第に赤く染まっていく。いくと言っても見たわけではない。説明にそう書いてあるだけだ。何年か前にも買ってきてせっせと世話をしたのだが、美しい色の変化を見せる前に茶色く変化し、枯れてしまったのだった。以来、いつかまた酔芙蓉を買うのだと心に決めていたのである。
 俺は芙蓉の花が好きだ。ムクゲやタチアオイと同じく湿った紙のような感触がある。茎は細く、一見弱々しく見えながらぐんぐんと丈を伸ばすところも俺の無意識を刺激するらしい。花びら自体の感じでいうと虞美人草も同系列に入るのだが、芙蓉は葉の鮮やかな緑と茎のみずみずしさで勝る。
 故中上健次はその小説の中で夏芙蓉という架空の植物を象徴的に使う。被差別部落を描く時、そこに必ず夏芙蓉を出現させ、濃厚な香りを放つ花を咲かせるのである。
 ここ六年くらい、毎年夏になると俺は中上さんの故郷である紀州新宮に行く。中上文学に関するシンポジウムに出るためなのだが、最初の年の基調講演以外はほとんど知的な活動をしていない。お墓参りをすませるやいなや、毎日勝浦あたりの海に行き、漁師に隠れてカサゴやウマヅラを突いているばかりだ。
 温泉に入って夜、駅前まで歩き、他の参加メンバーの文学談義をひたすらに聞いて、ごくごくたまに冗談を言い、腹いっぱい飯を食って眠る。その繰り返し。今では新宮が自分の田舎のような気がしており、夏が近づくと「ああ、帰れる」と俺は自然に思う。おそらく、兄貴分たちの後ろについて勝手気ままに遊んでいる気分なのである。世話をしてくれる熊野大学の皆さんに遠い親戚のような親近感ものを持ち、中上に大叔父めいたものを感じているのだ。その場所でひたすらに優しく許されて、まるで一番年下の子供のように遊んでいる。それが紀州での俺なのである。
 新宮駅から定宿に戻る途中、駐輪場のようなアスファルトの空き地のそばに小さな木造家屋がある。その家と狭い道路のきわに一本の芙蓉がある。俺は最初に新宮を訪れた時から、毎年その芙蓉を見ることにしている。無理にコースを変えてというやり方ではない。どうせ必ず間違いなく通るから、その時に花が咲いているかを確かめるのだ。
 今年は咲いていなかった。去年は咲いていた。その前の年がどうだったかは思い出せない。俺より少し背の高い、しかし茎はいつまでも細くひょろひょろしている芙蓉は白い花をつける。闇の中だと蛍光物質が入っているのか、ぼうっとかすかに光る。光っていると思わず、今年も芙蓉が咲いてると俺は声を上げる。酒の入ったメンバーは、ほんとだ、去年も咲いてたなと合わせてくれる。咲いていなければ咲いていないで、やっぱり俺はそのことを口に出さずにはおれない。そしてメンバーも俺の嘆きに同調してくれるのである。
 中上の故郷だから芙蓉にこだわるというような文学青年的な動機ではないつもりなのだ。ただ、最初の年に咲いていた芙蓉がその次の年にも咲いており、そのうち咲かなくなったと思ったらさらに翌年咲いていた。そんな年月の溜まり方に俺は故郷というものを感じてしまっているのに違いない。それがいつ抜かれてもおかしくないような貧相な芙蓉だからこそ、そのあやうさの中で再び出会えることを喜び、やはり一番年下の子供のように皆の興味のないことにこだわり続けている。
 そして、俺の酔芙蓉の話である。夏、親が住んでいる千葉に出かけた時、突然母親が植物園に行こうと言い出したのであった。二つほど先の駅にある植物園に彼女は再三顔を出しているらしく、いまやすっかり植物好きになった俺をつれて行こうと思ったらしい。
 そこに酔芙蓉があった。いちもにもなく、俺はそいつを手に入れた。家の狭い庭からほじくり出した月桂樹やら松葉ボタンやらと一緒に俺は芙蓉を浅草まで持ち帰り、ベランダの一等席に置いてやった。
 伸びた茎の先にすでに幾つかの花芽をつけていた。芙蓉やタチアオイ独特の、つまり俺がなぜか偏愛する大きめの葉も元気で、伊豆に遊びに行くときもなんの心配もしていなかった。三日くらい家をあけても大丈夫だと思っていたのである。それで他の鉢には様々な対策を立てておきながら、芙蓉だけは放っておいたのだった。
 帰ってみると悲惨なことになっていた。花芽はすっかりミルクコーヒー色になっており、元気な葉もほとんどが枯れてしなびていたのだ。被害はその酔芙蓉ひと鉢で、なぜそんなうっかりをしたのかがまったく把握出来なかった。確かに鉢は小さめだったのである。小さい以上、水を貯めておくことが出来ない。なぜ俺は楽しみにしていた花芽をわざわざ放置したのか。
 むろん急いで水をやり、枯れた葉を切って緊急治療体制に入った。ありがたいことに芙蓉はすぐさま元の元気を取り戻し、再び葉をたくさんつけて伸び始めた。先端の花芽を抜かせば、完全復活であった。
 花は来年ということになるだろう。ということは、咲かない確率が80%だと俺は踏んでいた。最初に失敗するとそれは反復するというのが俺の植物観だからだ。
   ところが、九月末。事態は好転した。脇から伸びた茎の先がふくらみ、みるみるうちに玉になっていくのだ。俺は我が目を疑った。疑っても疑っても、それは蕾なのである。玉は九つの細い爪のようなガクに包まれていた。爪は次第に開いていく。つまり内部に隠し持った玉が爪を押しのけてふくらんでいることの証明である。中の玉がのぞけるほどになると、それを絶対に落とすまいとしっかり握る爪のあり様がまるで玉を持った龍の指先のように見えてきた。そうか、これが中国画や日本画における龍の発想の原点かと俺は思った。
 玉はまた宝珠を思わせた。仏教美術と植物は確実に密接な関係を持っているのだと俺は勝手に確信した。そういう確信でもって喜びを倍増させるのが俺のやり方である。そうでもしないと意味不明なことを叫んでしまいそうなので、必死に学問的な連想にふけって我慢するのである。
 今、はっきりと花に向かっている蕾はふたつある。だが、よく観察すれば直径数ミリの蕾はあちらこちらから顔をのぞかせている。次から次へと咲く生命力という点がまた、俺が芙蓉やタチアオイやムクゲを愛するゆえんでもあり、もう毎日がワクワクだ。ひとつでも咲き始めれば、次の花はほぼ必ず咲く。それもまた鉢植え界の鉄則なのである。
 今年は残暑が厳しかった。いつまでも暑さが続いた。だからこそ、酔芙蓉が復活出来たのかもしれない。とすれば、ようやく秋めいてきた現在が少しだけ恐ろしい。ここまで来て咲かないとなると俺のショックはすさまじいことになる。
 ああ、今年は咲いてなかったなどと人の家の芙蓉を見るのは気楽で、だからこそ自己中心的なノスタルジーにもひかれる。だが、自分のものとなると話は別だ。徹底的にリアリスティックに注意をし、喜びに胸おどらせながらも同時に眉根を寄せ続けなければならない。
 俺は今、芙蓉のために厳戒態勢を敷いている。

 

                   



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