OCTOBER

オンシジウム

●十月のオンシジウム/蝶の恩返し(1998,10,19)

 熱心に読んでくれている人ならわかるだろうが、実は俺のベランダー生活はここしばらく花と無縁なのである。夏前あたりからクチナシだの、ミニバラだの、お手軽めいた鉢にも手を出していたのだが、そのどれもうまく咲せることが出来ずに終わっている。すでに書いた睡蓮やムクゲも結局は華やかな時期もなく葉を茂らせるばかりで、つまり俺は緑の管理人に終始していたのである。
 読者からメールで『コーヒーのイジメどきです』と教わったのは七月初めだったろうか。以前花の咲かせ方を教えて欲しいと書いておいたら、きちんとタイミングよく指示を出してくれたのである。とにかく水をやらずにイジメ抜く。そうするとコーヒーは危機を感じて花を咲かせ、実を成らせるという。  早速俺はコーヒー耐久テストを始めたものだった。次第に濃い緑の葉がしおれてきて、しまいにはあちこち茶色になった。ひどくぐったりしている。どういうわけか、じきに茎から蜜状のものがにじみ出て固まり出した。花芽の気配はまったくない。しかし、今が好機だという以上、俺はイジメの専門家たることを義務づけられている。
 だが、数週間で音を上げた。このままでは枯れてしまうと思ってたっぷりと水をやってしまったのだ。葉がすさまじい早さで回復するのがいじらしくて、翌日も人に隠れて水を与えた。隠れる必要はなかったのだが、スパルタ教育の出来ない親みたいな後ろめたさがあったのだ。それで、誰が見ているわけでもないのにまるで犯罪のように水やりを行った。なんというか、コーヒー耐久テストは途中から”俺の気持ち耐久テスト”と化しており、ついに俺はコーヒーをイジメている自分に耐えられなくなったわけだ。
 朝顔と夕顔は少し頑張りを見せた。しかし双方とも二年目である。花つきは悪いし、花びらが妙に小さい。去年の種がやたらに残っていたので、つい多めに蒔いたのも悪かったのかもしれない。おかげで病弱の子供が無理に笑って見せているような哀れさを誘った。咲かなくていい、もう咲かなくていいんだと言いたいような気持ちになる。今年新たに買った大輪の朝顔の種もあったのだが、蒔き時をあやまったのかちっとも丈が伸びず、いつまでもぐずぐずしている。
 そのうち、朝顔にも夕顔にも白くて柔らかい虫がついた。よく見るとたくさんの足で蔓にしがみついていたりする。手で取ろうとすると潰れやがるから余計に頭にきて、ある日めちゃくちゃな勢いで潰しまくった。白い残骸にまみれた朝顔たちはますます悲しげな姿であった。それでも小さく咲く。白い汚れをあちこちにつけたまま、毎日少しずつ花を開く。同じペースで虫は増える。防虫スプレーをかけると今度は葉が枯れた。それでも花は咲く。こちらは暗い気持ちになる。虫と手を組んで俺にいやがらせをしているのかと思うほどであった。
 元気にのびのび咲く花が欲しいと心底願った。だが、欲しいタイプの鉢がない。ミニバラでお茶を濁しても、濁っているのはバラの方ですぐに油虫にまみれる。花屋の店先でため息をつくことが多くなった。俺の好きな豪快な花はなく、たいていがカランコエみたいに細かく咲くものばかりである。ここは一番アマリリス級の選手を導入したいのだが、どうも需要供給のバランスがよろしくない。それで仕方なく指をくわえてベランダを見ているうち、なんとなくそのままひと夏を過ごしてしまう。
 正直に言うと、気候の悪さもあって世話がおろそかになっていた。雨が多いとガラス越しに様子を見るばかりで、実際にベランダで土にまみれる機会が減る。弱ったことに、例の白い虫はここを先途と他の鉢にも領土を広げていた。気づいた時にはアイビーもジャイアントロ−ズも虫の手に落ちていた。自然と植物の調子は悪くなり、おかげでこちらも集中力をそがれる。悪循環とはこのことである。
 悪しき流れを断ち切るものはただひとつ、どうしたって花であった。鉢のひとつにでも虫をよせつけずに凛と咲く花があれば、俺はかつてのボタニカル精神を取り戻し、どんな雨の中でもシャベルを持っていそいそと労働にいそしむことが出来る。……だが、期待される花はどこにも現れない。
 そんなある日のことであった。半日休みが取れ、幸い晴れ間も見えていたので、俺は鉢の移動くらいしようとベランダに出たのである。そして、あれこれの葉が重なる中にひょろりと伸びた細いリーダーを見つけたのである。オンシジウムであった。いつだったか引っ越し前のマンションのゴミ捨て場から拾ってきたオンシジウム
 花が終わったので一時は胡蝶蘭とともに風呂場に置いていた。だが、どちらもいっこうに花芽をつけずにいた。やがて俺はどっちがどっちかわからなくなり、一方を期待もせずに外でほったらかしにしていたのだった。それがいつの間にやら、ダチュラやトリカブトの葉の間に長いリーダーを伸ばしており、しかも点々と蕾を貯えていたのである。
 俺はうれしかった。腐敗していくベランダ王政に新風を送り込むべく、かつて受けた恩を花で返そうとオンシジウムは一人頑張っていたのである。しばらくはなるべく状況を変えずに置いた。世話もされずに奮起したオンシジウムの心意気を大切にしたかったからである。すぐに部屋に取り込むのでは、やつが必死で蕾をつけた甲斐がないと思われた。
 いわば、やつは王をいさめたのである。領民の嘆きを無視し、はびこった悪をいい加減に潰してみせるばかりで外に新たな移民を求めていた俺に、やつはこう言っているに等しかった。「王よ、我が花を見て何を思うのだ。このように我らには力があり、それを引き出すべきは貴方であるというのに、王よ。一体貴方は今まで何をなさっていたというのか」
 おっしゃる通りであった。というか、おっしゃっているのは俺なのだが、要するに反省しきりだった。次第に外が寒くなった。さすがに鉢を部屋に入れた。例の斑点を持った蕾がずらりと並んでふくらんでいた。日に日にそれが大きくなり、ついに開いて黄色い蝶を現出させた。次から次へと花は開き、そのまま風になびいている。昔拾ってきて咲かせた時よりも花は大きかった。それがまたなんともうれしかった。
 咲かずに終わる鉢にうちひしがれ、また衰弱した花に哀れを感じていた俺は、前よりいっそう大きく開くその黄色い蝶たちに励まされていた。久々にベランダーの喜びが体中に満ち、希望があふれ出してきた。水やりのためだけに水をやり、意味もなく肥切れをおそれて機械的に肥料をやっていた俺は、つまりマシンと化してしまっていたのだった。不意に咲く花に顔をほころばせ、伸びゆく茎から元気をもらう生活を俺はすっかり忘れていたのだ。
 すべてを思い出させてくれたのはオンシジウムである。
 あの捨て子である。

       


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