SEPTEMBER

サボテン/吊り忍

●九月のサボテン/サボテン倒壊(1998,9,22)

 サボテンの新世代はその後もゆっくりと育ち続け、身長10センチを超える若々しい塔となっていたのである。ところが、今年の初夏。二本あった親サボテンの一方が倒壊したのであった。もともとあちこちに茶色いシミが出来ていたとはいえ、まさか根元を腐らせて倒れるとは想像だにしなかった。
 とりあえず、まだ生きてはいるから根元を切断する気にもなれず、鉢のふちに体をようよう持たせかけているそいつを俺はピサと名付けて見張ることにした。これまで名前などなかったのである。それが死にかけで初めて名付けられたとなれば、ほとんど戒名みたいなものであった。
 ピサ居士……。なんだか決まらない。いやいや、決まる決まらないではなく、まだ死んではいないのだ。居士は余計である。ここはあくまでピサとしておこう。
 ピサのやつは緩慢に腐敗していく。いい加減自らの重みでちぎれるのではないかと思われてから、もう二ヶ月ほどになる。それでもポロリとはいかない。ここ一週間ほどで根元は乾いた皮だけになっている。中はどう考えても空洞だ。空洞のくせに、その上の部分にはまだ緑が残っており、あきらかに生命活動を延長しているらしい。まったくもって謎である。
 あまりの不思議さに、問題の皮部分を何度も触ってみようとするのだが、相手はサボテンである。トゲがあってうまく触ることが出来ない。したがって俺は倒壊した先の方を軽く持ち上げ、その感触で根元の様子を推し量るにとどまる。これがなんとも悔しい。
 俺は知りたいのである。皮を破ってみたら中がどうなっているかがどうしても知りたい。こういう興味は人類不変である。というか、不変ということにしておいて、皮をざっくり切ってみようという算段である。植物主義とか言っておきながら残忍にも倒れかけたサボテンの根元を切る俺への言い訳だ。
 で、やってみた。いや、ほんのちょっとである。ハサミでほんの数センチ。パリパリに乾いた油紙みたいな皮である。死んだ組織である。そいつを少々切開した。言っておくが、これはあくまでも手術だ。サボテン全体を救うために、俺は泣く泣く切った。嘘だと思うなら俺に聞いてみたらいい。泣く泣く切ったって言うから。
 オペによれば、内部はやはり空洞であった。かろうじて根と茎をつなぐのは枯色をした数本の繊維である。機能しているとも思えないが、その繊維こそがピサの完全倒壊を防いでいると思われる。以上。
 いや、以上ではない。こうなると、ピサの表面になぜ緑色が残っているかがますますわからないのである。その緑はすでに失われた生命の名残であって、色が消えるまでに時間がかかっているとしか考えられない。つまり、生命活動は一般的な意味では終了していたということになる。
 だが……と思って俺は次なる手術に移った。移ってしまったという方がいいかもしれない。茎に現存する緑色の部分に、俺はハサミを突き立ててみたのである。結果に顔をしかめた。ジュワッと音がして水があふれ出したからである。サボテンは水を貯める習性がある。それは常識だ。倒壊し、茎が根から切れて相当の時間が経つというのに、野郎はいまだに保水活動を続行しているのである。
 こうなると、植物が死んだといえるのはどの時点かという、これまでも考え続けてきた問題に思い至るしかない。人間ならそれは心臓停止である。そこに脳死という規定が浮上してきたわけだ。だが、サボテンからあふれる水を見てしまえば、自然と血液のことを考えざるを得ず、身体が生きているのに死を宣告することの是非に俺は黙り込む以外ない。このサボテンが死んでいるかどうかを決めることさえ、おそらく我々にはいまだ不可能なのだ。農業的には死んでいるだろうが、ベランダー的には生きている可能性がある。なにしろそのまま枯れるまで見ている道もあるからだ。では、ベランダー的にいって、脳死は死なのか。
 手術などと言い張ったために、俺はかなり科学者めいた気分になってしまっていた。うっかり根元を切開したおかげで、俺はむしろピサを捨てることが出来なくなり、あまつさえ人間の尊厳にまで思いを広げたのである。これが俺の妄想癖というやつである。
 ベランダー的な結論がもしあるとするなら、勝手に落ちるまで放っておく以外になかった。これまでにしたところで、俺にやれることといったらたまの水やりとアンプル投与だけだったのだ。ひとまずピサのことをそう考え、鉢を手術台から元の場所へと移動させた。
 どう考えても全体としては死んでいる。
 だが、組織は生きている。
 植物人間などという言葉は人間に対しても植物に対しても失敬だ、と思った。人間が自らの生命の期限を規定出来なくなったその矛盾点で、あたかも相手が植物であるかのように錯覚してしまっただけである。矛盾は規定出来ないものを規定しようとする行為にこそ内在しており、おそらく生命の側にはなんの矛盾もない。
 ベランダーはやはり、”勝手に落ちるまで放っておく”しかない。あるいは、ある日突然なんの気なしに切り取ってやるのだ。

●九月の吊り忍/トイレット大作戦(1998,9,25)

     昔から吊り忍に憧れていた。風鈴かなんか下げて軒先へ吊るし、涼を取るなんざ日本のベランダーにとって夏の必須科目といってもいいだろう。ベランダーはなにしろ、江戸の長屋暮らしをその行動の手本とする。それより前の植物事情はよく知らない。
 なにしろ形がいい。針金か何かで作った山のような忍。あるいは灯籠。見立ての力によって、狭い窓際をあたかも広い庭への通路のようにしてしまうわけだ。もちろん庭なんかないのだからベランダ・マジックである。裏を返せば、武士は食わねどの高楊子だ。どちらにせよ遊びである。ないものをないなりに楽しむ心の持ちよう。それこそ我々ベランダー階級が学ぶべき態度なのである。
 だが、相手は山シダである。物の本を読むと、井戸水またはさらした水をやらなければならない。しかも、一日数回霧吹きで与えたりする。ほとんど宝物である。よほどの暇人でないかぎり世話は不可能だ。それでこれまでの数年間、俺は我慢を余儀なくされてきたのである。ベランダ・マジックを実現するためには、自分が隠居をしないといけない。
 しかし今年は秀逸なアイデアがあった。トイレの貯水タンクの上に置くという作戦を、俺は春あたりからひっそりとあたためていたのである。
 用を足す。水を流す。貯水のための水が出る。忍はそれをかぶる。こうすれば、忍の水やりは完璧になる。しかも、用を足す度にその瑞々しい姿を楽しむことが出来るではないか。どうだ! と思いついた時は叫びたいくらいだったが、現実的な問題は多々あった。そもそも吊していないのである。吊して風鈴下げて水がしたたって、それでなんぼの植物である。それがタンクの上にでーんと鎮座することになる。その上、井戸水かさらし水という条件はひとつとしてクリアされてはいない。さらした水は便を流す方に使われてしまい、忍の方はいきなりのカルキ責めである。忍の立場に立てば、なんで俺よりも便を大切にするのだという話である。
 要するになんの解決にもなっていない。なっていないのに、俺はなおもそのアイデアをあたため続けた。他に何も思いつかなかったのである。しかも、見切り発車で実際に吊り忍を買ってしまった。七月のことではないかと思う。俺はどこかの屋台で風鈴がついた小さいやつを見つけたのだ。それも土台の木が升状になっている種類。これなら置きやすいと俺はとっさに思った。吊り忍ではなく、置き忍になることを知りながら、しかし頭の中ではチリンチリンと風鈴の涼やかな音色が鳴っていた。外さなければトイレに置けないことは承知していたのだが、せめて幻想の中で俺は忍を吊してみたのである。
 水についてはどこかで腹をくくっていた。例えばメダカの水を替える際、俺は水をさらさない。カルキ抜きの薬品を入れて十五分ほど待てばいいのだが、それが面倒でいつも水道から直接金魚鉢に入れるのである。それでもメダカは生きている。元気いっぱいに苦しんでのたうち回り、最終的には平気な顔でエサを食ったりしている。メダカが頑張るんだから忍にも頑張ってもらわなければなるまい。俺はそう考えていた。
 トイレに置かれた忍は事実元気なものであった。吊られてもいない。風鈴もない。水もきつい。それでもさすがに忍である。日陰でも耐え忍ぶから忍。命名の由来は実に正しかった。やつは毎日、俺が用を足したあとの補給水を頭から浴び、その屈辱に耐えてクルクルと巻いた茎を伸ばして育った。
 だが、そのうち困ったことが起きた。俺は寝る前に神経症的な頻度でトイレに行くのである。たぶん小学校六年生の時寝小便をしてしまったのがトラウマとなっており、さあ眠ろうという段になると何度も何度もトイレに行きたくなる。出なければいいのだが、その度ちょろりと出る。出るからまた心配になる。特にビールなど飲んでいるとこれがすさまじい。そんなに行くならトイレに寝ろと言いたくなるほど、ベッドとトイレを激しく往復する。
 この余波をまともにくらったのが忍であった。耐えに耐えてはきたけれど、浴びる水の量があまりに多いのである。どうせ渓流などで育つのだから水が流れ続けていても平気だろうとは思うのだが、なにしろカルキ入りである。しかも夏のトイレは風通しがよろしくない。それでなんとなくぐったりしてきた。毎日のトイレ行脚でこっちもぐったりだが、そのたんびに水をかけられる忍も相当につらかったのだろう。
 仕方なく、ちょろりの時は流さないことにした。便座のフタを閉めておき、これが最後だと思った時にだけ流す。俺と忍の暗黙の契約がそれであった。だが、いつが最後かが俺にはわからない。おかげで便器の前でじっと考える時間が多くなった。果たして俺の小便はこれで終わりだろうか。ここで流せば忍はつらいことになりはしないだろうか。神経小的な行脚の度、俺はそういう判断を下さざるを得ず、トイレ滞在時間が非常に長くなった。
 自然いらだちはつのる。そういう時に限ってまた忍の中からダンゴ虫だのムカデみたいなやつだのが這い出てくる。湿っているので、元から根元に巣くっていた虫が大喜びしているのである。何が風流だ、何が風鈴だ。俺はついそう叫びたくなった。風鈴は吊していないわけだから、忍としてはいわれなき糾弾である。あんたがここに置いたのがそもそも悪い。そう言われてしまえばおしまいである。だが、ありがたいことに忍は何も言わない。なにしろ忍んでいる。
 こうして夏が終わり、季節は秋へと移り変わろうとしている。蒸した空気は段々と薄くなり、ありがたいことにへたばりかけた忍も復活のきざしを見せている。言ってみれば戦いのあとである。カルキと戦い、ざぶりとかぶる水の生温かさと戦い、虫と戦い、風鈴なき身の悲しさと戦い、日々俺のちんちんを見て過ごした忍……。
 やがて冬になれば、やつは新聞紙にくるまれ、暗いところに保管されることになる。近頃俺はその忍の運命があまりに悲惨なのではないかと思うようになっている。たとえ冬場を越して春になっても、やつはトイレ行きなのである。そして、また苦難の毎日を送ることになるのだ。
 忍よ、来年は吊してやる。おそらく三日が限度だろうが、お前の晴れ姿を母さんは楽しみにしているよ。
 そのあとは悪いけれどもトイレである。ベランダに吊す場所がない以上、忍には生きている限り忍んでもらわなければならない。屋台のおやじがくれたコピー「忍の育て方」の最後には悲しいことにこうある。
”何年でも生きます”……。

       


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