(1998,5,29)
園芸通販雑誌で見つけた茶碗蓮である。
なにしろ名前がいい。茶碗の蓮。
ページ上でも、何やら小さな容器におさまって咲く花が目立っていたのである。
俺はこういうミニチュアものに弱い。コーンフレークのおまけに付いていた小さな人形に胸を躍らせたタイプだ。ああいった”同じ形で小さくなる”現象には不思議と興奮する。
ミニ辞書とか根付けとかミクロな文房具とか、そういうものを見ると神秘じみた感興を覚えてしまうのである。遺伝子あたりに組み込まれた習性としか思えないほど、その興味の底は深い。植物一般に関しても、苗が一人前の形をした葉をつけたりするといつまででもじっと見ていられる。赤ん坊の手に感じるのも同じ興奮である。
以前、大きな蓮を枯らして悲しい気持ちになったことのある俺は、その茶碗蓮を五つほど注文した。育成が難しいことは予想されたからである。
三ヶ月くらい待ってようやく届いた蓮は意外に大きかった。漢方薬か何かを思わせる黒い根っこ。長いもので二十センチほどもある。
その時点でとうてい茶碗にはおさまりきらない。俺のミニチュア嗜好をまるで満たさないのである。
俺が茶碗蓮を注文したことは近所のベランダーたちにもすでに伝わっていた。みな欲しそうな顔をしていたので、二つ残して分けることにした。もちろん長い順である。といっても手元に残した根っこも十五センチはあった。どうしたものかと思い悩んだあげく、俺は雑貨屋で直径二十センチの水鉢を買ってきた。スペイン的な模様の入ったかわいらしい鉢である。デザインをかわいくすることで、俺は失望を隠そうとしたのだ。
水をはって根を入れた。。同じ方法で育てるのには危険があったので、もうひとつの根は通常の鉢植えと同じく土の中に埋める。どこをどうすれば花まで持っていけるかはまるでわからない。ともかくあらゆる手段を試してみるしかなかった。
幸いどちらの根からもすぐに葉が出てきた。水鉢の方を見るとヒゲ根も生えだしている。こいつは快調と満足しきりであった。しきりであったが、すぐに根の回りが白くなった。カビだと思われた。その証拠に水が臭い。俺はあわてて水を替えた。替えたがまだ臭い。根のまわりに白いもやのようなものがまとわりつき、触るとぬるぬるしている。
土に植えたものも同じ現象に悩まされているはずであった。なぜなら、そちらも臭いのである。だが、だからといって水やりを控える勇気はなかった。相手は蓮である。水を枯らしたらどうなるかわかったものではない。
やがて、にょきにょき生えた丸い葉が茶色くなった。以前の蓮と同じである。いったん茶色くなった葉が元に戻ることはあり得なかった。俺は猛烈に焦った。茶色くなった葉を切って次の生命に賭ける。しかし、生えてくる葉はいずれもすぐに枯れた。今度は放っておくことにした。すると、黒ずんで縮こまる。匂いは依然として激しい。
土に埋めた方を窓際からベランダに移した。風を当て、自然にまかせてなんとかしようという方策である。水鉢の方は変わらずキッチンの窓際に置いて二十四時間体制で監視する。
ご近所のベランダーは田土の上に水を張っているという情報が入った。俺もそうしようと思うのだが、カビが気になって仕方がない。とにもかくにもカビが消えてから泥の中に……と思い、毎日水を替える。それがいけないのか葉は次々枯れ、次々に生まれ出る。生まれ出ながら水を臭くする。土に入れたやつはやがて根腐れの状態におちいり、火事跡のように黒く萎縮した葉が倒れているばかりとなった。
小さくもない茶碗蓮である。おかしな匂いばかりがして葉が枯れる蓮である。根にカビが生える植物である。
驚くべき小ささの蓮ではなかったのか。清楚に葉を伸ばし、可憐に咲く花ではなかったのか。活き活きした根を持つ植物ではなかったのか。
こうして、俺の夢はついえさった。
今日もほのかに臭い。
●五月の植物生活/すべてがボタニカル(1998,5,29)
ビデオのロケで山梨に行き、一面の虞美人草の畑に出会った。出会ったというか、スタッフはまさにその絵が狙いなのだが、俺の出番ではなかったのである。
休耕地を豊かにするためか、あるいは通りがかる人へのサービスか、すさまじい数の虞美人草は赤や白の花を咲かせて、ゆらゆらと風に揺れている。うねに沿って生えたわけでもなく、ある場所には密集し、ある場所にはたったひとつの根とまさに野性的なポピーの群れ。花屋に売られているものとは違って蕾を覆う毛も少なく、茎はあくまで太い。
幸福を味わいながら、俺はうろうろと花の間を歩く。歩きながらも目は鋭く、あちらこちらをにらみつけている。広大な畑の中でようやく俺は目当てのものを見つける。花が終わり、枯れたまま突っ立った茎である。花の後に出来た種袋を俺は探していたのだ。
固い蓋の下を覗くと無数の種が詰まっている。もう俺はほくほく顔である。数千はありそうな花の中で見つけ出した茎はたった五本。
それをすべて勝手に収穫して俺はロケバスに戻り、煙草のビニール袋の中に納めて輪ゴムをかける。
みんなが仕事に熱中し、あるいは虞美人草の毒々しい美しさにぼんやりしている間に、こうして俺はちゃっかりと種を盗む。そして、家に帰って本を開き、そいつをいつどのような土に撒くかを調べるのである。
五月はほとんどの日を舞台に費やしていた。舞台には花が贈られる。劇場入り口は各関係者からの花でいっぱいになる。となれば、俺の出番である。
毎日本番前に花の様子を見に行く。切り花には目もくれず、鉢植えがないか探す。見つけたらすぐに乾きの具合を指で試し、劇場のお姉さんに適切な水やりを指示する。これは二日にいっぺん、こいつはしばらくなし、この鉢には毎日。そうやって細かい注文をつけるのも、楽日に俺が持って帰りたいからである。
今年狙っていたのは花弁の少ないバラ、近頃花屋でも鉢植えがよく売られているカクテルという種類と、もうひと鉢アンスリウム。ハート型の赤い苞(ほう)にトウモロコシの子供みたいなやつが突き出たあの熱帯の植物である。カクテルは丈が八〇センチほどで、アンスリウムは一メートルほどだから、打ち上げ会場から家に運ぶのは楽しい一苦労だった。タクシーの中がむっとするほど香しかったのも胸を打った。
残念ながらカクテルはベランダで三日ほど、花の最後を見せて散っていった。むろん来年の花を目的にして持ってきたので悔いはない。すかさず御礼肥をあげて、またあのヒラヒラしたかわいらしい花を咲かせてもらえるように養生する。
アンスリウムは部屋の真ん中に置いたソファの後ろにでんと控えている。空気清浄機のそばだったのでサトイモ科ならではの大きな葉が白く汚れたが、空気より植物を取る俺はすぐに機械を適当な場所に移す。おかげでそれからは元気なものである。二、三の花は枯れたが、持ち直して活き活きしてやがる。
卵パックに詰めた土からはローズマリーの芽が生えている。いいところで鉢に植え替え、霧吹きで水をやる。ニンニクや葉ネギを植えたでかい鉢で育てたイタリアンパセリの苗も順調に育ち、次々に植え替えられていく。これらの作業はもちろん、芝居を終えて帰ってきてから行う。
五月はすべてがうまくいく。見かけた花から種を取り、あるいは捨てられる運命のヘデラを持ち帰って挿し木し、これと思った鉢植えがあれば持ち帰り、土と見れば何かの種をばらまいておく。まず間違いなく、失敗はあり得ない。カビにやられた茶碗蓮は別として、五月は植物生活にとって一番楽な月である。何もかもが植物を見守り、たいがいのことが生命につながってくれる。
そして、梅雨が来る。
●五月の植木市/ベランダー狂喜(1998,5,31)
俺はその日を心待ちにしていた。浅草に越した以上、植木市にいかずしてどう生きていくというのだろう。五月下旬と六月下旬の土日にそれは行われる。特に今年は植木市の中心たる浅間神社の奉祝祭直後だから、いつにも増した熱気が予想された。
俺が死守したスケジュールは五月三十一日の日曜日のみ。たった一日で植木市を制覇しなければならないのだ。俺の舌は前日から緊張で乾きがちだった。湿らせようと思ってビールを大量に飲んだので、当日は寝坊した。
夏のような陽気の中、当然自転車をこいで行く。どんな大きさの鉢植えをゲットするかわからないからだ。胸躍らせながら浅間神社の前まで来ると、車両通行止めになった商店街に延々と露店が並んでいた。俺はポケットに突っ込んだ金を確かめてから、急いで人混みに走り込んだ。
あるわ、あるわ、どこまで行っても鉢植えである。キキョウの根やら、ミニ盆栽、グミにミカンにブドウの樹、各種のバラに山野草、もちろんハーブも数十種類。はたまたビニールに詰めた骨粉やら特製肥料、あるいは箱庭用のミクロな釣り人フィギュアまで。しまいには何故か知らないがナマズが五百円で売られている始末だ。あまりのことにナマズに手を出しかけた俺だが、必死に思いとどまってさらに奥へ行く。
行き交うのはみなプロのベランダーである。どのおばさん、おじさん、じいさん、ばあさんも植物を見る目が違っている。何か気になればすかさず葉を触り、そいつの調子を見るし、鋭い声で値切ってみせたりしている。簡単に買うわけにはいかないぞという気迫に満ち、財布のヒモをぎゅっと締めているのだ。気持ちはよくわかった。そうでもしていなければとんでもない散財をし、最後には売る側になって道路に座るはめにおちいる。
俺もまた慎重に各露店の特徴を覚えていき、あらかたの値段を把握する。しかし、あまりにも露店は多かった。次第に疲労がたまり、正確な判断が出来なくなってくる。立派な竹の上でどこから来たのか、アゲハ蝶が休んでいるのが見えた。蝶が休みたいくらいだから俺も休みたい。だが、一度でも休んだらおしまいである。みなぎった気迫は失われ、「どうだい、ブルーベリー。二千円にしとくよ」などという悪魔の声に誘われて、置き場所もわきまえずに鉢を買いまくってしまうのだ。
俺は耐えた。耐えに耐えた。そして、三百円のイシダテホタルブクロや五百円のウコンを始めとする安くて小さくて面白そうな鉢だけを手元に集めていく。トリカブトに朝鮮ウツギ、はたまたタキタスベルラ……。知らぬ間に両手はビニール袋だらけであった。
その時、「全部千円」の声が聞こえた。夕方になって値崩れが始まったのである。見れば花盛りのベゴニアや丈高いバラが並んでいる。それらがすべて千円などということがこの世にあり得ていいのだろうか。俺の足はフラフラとその露店へ向かっていた。おばさんたちが群れている。何を考えたか、年端もいかない小学校低学年男子までもが真剣にバラを選んでいた。根のあたりを触る仕草はベランダー歴の長さを感じさせ、俺を脅かした。何故だ、何故こんなガキまでが敵なのだ?
ごつんごつんと四方八方からぶつかられた。相手はどでかいバラなど持っているから、俺は拷問を受けているのも同じである。右にかしぎ、左によろけた。もはや俺は傷だらけであった。せめて購入した鉢だけは守ろうと身を固くすると、敵どもは俺の戦意喪失を即座に見抜いて尻などぶつけてくる。立っているのが精一杯だ。
しばらくそうやって必死に立っていたが、やがて正気が戻った。勝てない勝負からは身を引かなければならない。俺は目当てのバラに別れを告げ、それを例の少年が持ち上げるのを横目に見ながら混雑を抜け出した。
そのまま植木市の中にいれば、投げ売りのおそろしい混乱が始まるのは必至であった。そうなれば俺は戦乱の渦中で右往左往し、うずくまって失神してしまうに決まっていた。大急ぎで道路を歩いた。歩きながらもヘチマを買うのを忘れなかった。引っ越しの時に捨ててしまった月下美人も姑息に買い直し、ほうほうの体でナマズの前まで戻った。「地震をしらせるよ!」とかなんとかいうコピーに胸打たれ、またもや買いたくなったが、今揺れているのは俺の脳みその方だと自らに言い聞かせ、ベースキャンプまで帰った。
浅間神社の小さな境内では、うら若いお姉さんたちがハッピを着て祭囃子を鳴らしていた。そうだ、これこそベランダーの祭りなのだ。俺は混み合う露店の列を振り返り、そうひとりごちた。今時ガーデナーだの園芸ブームだのしゃらくさいことを言っているやつらに、そのお囃子は聞こえやしない。俺たちベランダーは長いこと、狭い長屋の前を工夫し、鉢を育てて来た。それをすっかり忘れておいて何がイングリッシュガーデンだ。何が素敵な庭作りだ。狭さこそ知恵、貧しさこそ誇り!
こうして俺はすっかり満足し、自転車をゆっくりとこぎ始めたのである。
キノボリトカゲも欲しかった……。
kinokuniya company ltd