55-7-8(鏡の間 7/10)



 鏡冠者という新作狂言を去年の年末に書いた。  上演は来月である。  要するに55ノートにとりつかれたまま、僕は芝居を書いてみたわけだ。

 その狂言では太郎冠者がのぞいた鏡から精が出てきてしまう。太郎冠者がのぞいた 以上、精は鏡冠者となり、太郎冠者の所作のいちいちを左右逆にして真似る。  だが、考えてみればこの鏡像性は舞台という装置そのものの比喩なのであった。  観客は役者と向かいあう。  向かい合うからには、左右の感覚を逆にしてしまう。  上手・下手(かみて・しもて)という舞台用語はその事情をよくあらわしている。  客席から舞台を見て右が上手。左が下手。  つまり役者から見て左が上手。右が下手。

 舞台稽古を続けているとき、出番のない役者は客席側に位置していることが多い。  そして、芝居をする仲間を見ている。  だから、仮の舞台袖を作り、本番さながらの稽古に入るとたいてい混乱する。  自分がどちらの袖から出ていくかを見失うのである。  何度も立ち稽古をしたはずなのに、上手から出るか下手から出るかを忘れるのだ。

 思うのだが、舞台という装置はそもそも人類が鏡の比喩そのものとして作り上げ たものではないか。  舞台には魔物が住むといい、そこに真実ならざる真実があると言い習わしてきた のは、それが鏡のような観客と役者の“向かい合い”の構造を持つからではないか。  右手を上げる役者を真似ようとするとき、我々観客は一瞬とまどう。それは鏡に なれない人間の感覚をあらわしている。鏡ならば間違いなくすぐさま左手を上げる。

   ルーセルの舞台『アフリカの印象』から想を得たデュシャンの大ガラスはその名 の通りガラスで出来ている。舞台という鏡を超える思考。決して鏡合わせにならな い絵画。これはやはり示唆的である。なぜなら、“向かい合い”という構造からす れば旧来の絵画もまた、どこかで鏡の構造を持ってしまうからだ。絵画内の人物が 右手を上げていれば、それは見る我々からすると左側の手を上げていることになる。  この“向かい合い”の誤認は以前書いた通り、人間のイメージ能力の限界を示す。 左右という束縛は人類の脳をある域内に閉じこめている。  左右というイメージを超える舞台、絵画……。  四次元という謎めいたイメージを持ち出さなくとも、そもそも我々は左右という 認識の限界に縛られて互いに向かい合い続ける。デュシャンが激しく意識したダビ ンチがすらすらと鏡文字を書けたことを思い出してもいい。そのような訓練を少な くともダビンチは行っていた。書いたことを即座に知られないようにしたという説 がまかり通っているようだが、僕はそんな単純な理由でダビンチが鏡文字のメモを 書いていたとは思わない。  先走って言ってしまえば、ルネサンス期の画家は視覚の導く限界やそのイメージ 表象の限界を超えることを、左右の反転を通して考えていたのではないか。  デュシャンがその復活を目指したとすれば、作品がガラスを素材とした意味がよ くわかる。“向かい合い”は鏡という効果をなし崩しにするからである。

 そして、この“向かい合い”はもちろん、チェス的にはオポジションそのものだ。

 狂言が使う能舞台では橋掛りに出る前の、つまり控えの間を「鏡の間」と呼ぶ。  舞台そのものを抽象的に突き詰めた人々は、“向かい合い”がもたらす夢幻的な 効果のことをよく知っていたのだと僕は思う。  舞台という鏡に出ていく前に、すでに役者を鏡像の中に放り込むこと。観客より 前に鏡像効果を明確に意識させること。  鏡の間とは、そのようなマジックを行うための場所だったに違いないのである。

     



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