55-6-7(鏡と回文 12/23)



『不実なる鏡』において、回文が「対掌的」であるとテヴォーはいう。  そこに訳者が図示した「たけやぶやけた」には、文の下に双方向の矢印が描かれてい る。左右どちらからでも読めるということなのだが、果たしてこれが「対掌的」と言え るかどうかがわからない。  テヴォー自身は、この例でいくと「たけや」「ぶ」「やけた」と考えているのだろう か。「ぶ」の部分が鏡だとすれば、確かに「ぶ」をはさんだ三文字は“折り返す”。

 だが、「対掌的」な関係というものは、“形は類似ながらそのまま重ね合わすことの できない”性質を持つはずである。  同じものを僕の理解で描き直したのが下図だ。

図17

 ふたつの回文の間に鏡を立てるとこうなる。  確かにこれこそ「対掌的」であるように思えるのだが、今度は右側の七文字を読むこ とが出来ない。  そもそも、テヴォーの回文が「文字」を指しているのか、それとも「音」を指してい るのかが判然としていない。  ここはひとつコミュニケーションの現場を設定して、僕なりに考えてみたい。         


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