55-4-9(チェスの光 99/11/8)
これまで「光と影」と書いてきた。「光と闇」とは書かなかった。
影は闇と異なり、光以外のものを必要とする。もちろん、光をさえぎる物質であ
る。その物質が前提とされなければ、影は現れることが出来ない。
光と物質と影。その三位一体。
射影幾何学に没頭した時間をデュシャンは持っている。
ガス燈の光で物質を照らし、壁に出来た影をなぞることで幾つかの作品を作ったこ
とでもそれが見てとれる。もちろん、「遺作」にもそれは通じている。なにしろ、そ
の正式タイトルは『1.照明用ガス 2.落下する水が与えられたとせよ』なのだ。
中沢新一は『東方的』の中で、このデュシャンの射影幾何学を“次元をひとつ減ら
す方法”と言っている。三次元を二次元にするために影を使うというのである。そし
て、三次元の影が二次元に現れるように、“四次元の影も三次元に現れる”という。
その影を霊だとする見方を僕は持たないが、デュシャンが考えていたことの近くに中
沢がいることを否定出来ない。
しかし、そうだとすると、光はどこから来るのか。
アインシュタインが言うように光はこの世界で最速であるだけではなく、ゆえに次
元を越えて存在するのだろうか。次元を越えて影を作り出す光もまた、次元を越えて
いるのだろうか。
もしそうだとすれば、チェスこそ「光と影と物質」で構成された根源的な世界像だ
ということになる。次元を越えた思考のモデルとして存在することになる。
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