55-4-7(オポジション2 99/11/4)



 ピエール・ド・マッソの孫引き、その二段目。

「勝つためには白の“王”は、自分のいる桝目の色彩を無視して無差別に動くことは 出来ない。本著の著者たちの用語を使えば、この“王”は、黒の“王”が占めている 桝目の色に関係した“異端(ヘテロドックス)のオポジション(見合い、“王”が一 桝あけて対抗する位置)”を選ばなければならないのである。この“異端の見合い (heterodox opposition)”は、デュシャンとハルバーシュタットがチェス理論に与 えた、真に革新的な理論だった」

 この引用のあと、東野芳明氏はすぐにあの「キングのワルツ」に空想を飛ばしてし まう。キング同士が永遠に、あたかもワルツを踊るかのように動き続けるというイ メージの方に。もちろん、僕はそれを責めているのではない。デュシャンとチェスの 抽象的な関係をきちんと押さえていた人として、いやそもそも大学時代の僕にこうい う興味を抱かせてくれた大恩人として、故東野氏はいつでもこの『55ノート』を捧 げるほとんど唯一の人として存在しているのだ。
 確かに我々はデュシャンの遺作を「キングのワルツ」として考えたくなる。僕もそ の線に乗っ取って、むろん他の美術的な思考は多々あれども、チェスの筋から考えて いきたいと思っている。しかし、だ。その前に考えるべきことがある。ワルツのその ステップがどのようなダンスホールで行われていたかということを。
 ダンスホールの名は“異端(ヘテロドックス)のオポジション”である。
 東野氏は哲学的に“異端”と訳した。だが、ここまで長々とノートを記し続けてい る僕にとって、それは単に「ヘテロ」でしかない。異なるということ。つまり、それ は白黒が交互にあらわれるという意味だ。すなわち、ピエール・ド・マッソの要約の 中で最も読み落としてはならないのは、このいわば「白黒のオポジション」という言 葉なのであり、「桝目の色彩を無視して無差別に動くことは出来ない」という法則な なのである。<⇦これが十分な説でないことは55-5-2で明らかになる>  すでに我々は「光と影の明滅」に様々な意味を付随させてきた。
 そして、ここでもまた明滅は起こる。
 昨年末に協力者O君とのメイルのやりとりで推測した限り、デュシャンの大著が証明 したのは「自軍キングが白のマス目に動けば、敵キングは黒のマス目に動かなければ ならない(むろん黒のマス目なら敵は白のマス目)」という原理である。マス目は明 滅し続ける。上に乗っているのも白、黒のキングである以上、明滅のイメージはさら に激しくなる。そのチカチカする光の中で踊るワルツこそが、デュシャンのいう 『「オポジションとキングのマス目問題」の解決』なのだ。

   遺作の、扉に開けられたノゾキ穴の向こうにあるものを思い出せるだろうか。
 女性器をあらわにした女は左手にガス燈を持ち、遠くには安っぽい光の明滅する滝 があったのではないか!



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