55-4-10(チェスの光 99/11/8)
ことをこねくり回しているつもりはない。チェスをする時、人はしごく単純に白と黒
のマス目を気にする。それはチェスというゲームを読むためのひとつの簡便化された方
法である。
たとえば、ビショップは一生涯、光と影のどちらかの道しかたどることはない。白の
マスにいたビショップはどんなことがあっても白の上にい続ける。ナイトは必ず白と黒
のマス目を交互に移動する。したがって例えば、近くにいるナイトに狙われているかど
うかはマス目の色ですぐにわかるし、同じようにビショップの効き筋を念頭に置くのに
も、「白マスにいるビショップは自分の黒マスを狙えない」と知っていれば済む。
チェスと「光と影」。そう考えたとき、法則化された動きをするのは以上、ビショッ
プとナイトの二駒しかない。
面白いことに、ルーセル定跡においてレーモン・ルーセルが示したのは、まさにこの
ビショップとナイトによる王手詰めの方法であった。しかも、彼はビショップとナイト
が“色違い”の場所にいることを王手詰めの条件としたのである。ルーセルが考えてい
たのは、やはり白と黒の明滅だったのである。
そして、我々はすでに、同じ年にデュシャン(とハルバーシュタット)が発表した研
究を知っている。それもまた、ヘテロなオポジション、つまり「色違いの法則」なのだ
った。
これは単なる偶然なのだろうか。
チェス研究、チェス定跡のごくごく当たり前の成り行きなのだろうか?
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