55-3-1(デュシャン対ローズ・セラヴィ)



 デュシャン対ローズ・セラヴィ。

 彼ら同一人物が差したチェスの記録がある。

 アーマンド・P・アーマンという人物が作成し、デュシャン展のパンフレットに載せたもの らしく、娘のイヴス・アーマンが一冊の本(『plays and wins』)の中に再録している。そ の洋書を僕はまだ見ぬ友人O君から郵便で送ってもらったのだった。

 架空棋譜はこんな叙述で始まっている。

「デュシャンは試合の十分前に到着し、静かに煙草を吸い始めた。セラヴィは時間ぴったりに 登場。背が高くすらりとしていて寡黙だ。握手をかわすと彼らはテーブルについた。デュシャ ンが煙草を吸っていてもよろしいかと聞くと、セラヴィはええと答え、自分も吸いますのでと つけ加えた」

 そして、注目の第一手。

 白のデュシャンはPe4。

 黒セラヴィはPe5と受ける。

 Pはポーンを示し、e4、e5は位置を指す。

つまりこれは、中央でポーンが角突き合わせる古典的な形。続いてデュシャンはPf4、セラ ヴィはそのf4に来たポーンをe5のポーンで取る。いかに架空棋譜であれ、少々デュシャンら しさに欠けるオープニングである。

 なぜなら、デュシャンはハイパーモダンと呼ばれるチェスの新風を巻き起こした人物の一人 であり、このように古めかしい始まりを好まないからだ。第一手をナイトの移動で始めること をデュシャン・オープニングと呼ぶ人もいるくらいでe4はまずあり得ない。

 さて、ともかく戦いは四十手まで続き、そこで引き分けとなる。

 観戦記はこう語っている。

「1.落ちる水 2.照明用ガスが与えられたとせよ マルセルはセラヴィに対してうやうやし くドローを申し入れた。ローズ・セラヴィはデュシャンの終盤戦での強さをよく知っており、 その申し出を受け入れた」

 なんだかあっさりした終わり方である。そのわりには、デュシャンの遺作の名がしるされて いる。実は「終盤戦」という単語の後ろにカッコが開いており、そこに実際は「見合いとシス ター・スクエアは和解している」と付言がある。

「見合い」は前回説明したoppositionのこと、そしてシスター・スクエアはオックスフォー ド版のチェス辞典によると「ポーンしか残っていない終盤戦においてツークツワンクが生じた 場合の、キングが支配するマス目」を指す。つまり、すなわちアーマンは、一九三二年にあら わされたデュシャンの研究発表を架空棋譜の最終局面に取り入れたわけである。つまりこれは 遺作の解題なのだ。

 ちなみにこの架空棋譜、O君の調べによって二十五手までが一九六〇年に行われたスパス キーとフィッシャーの死闘から取られていることがわかっている。

     



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