55-2-9(デュシャンにとってルーセルは白か黒か2)



 清潔狂でもあったルーセルは衣服を何回着るかをこと細かに決めていたといわれている。カ ラーは一回だけ、ネクタイは三回まで、帽子さえ十五回でお払い箱となってしまうのだ。その せいか、印象的な写真はたいてい真っ白な服でこちらをにらみつけているし、エピソードの中 でも”見事な白の三つ揃い姿”が特別に語られているくらいだ。だが、デュシャンが見た晩年 のルーセル、突如チェスを始めたルーセルは違っていた。それは前回書いた通りである。もう 一度引いておこう。

「彼は、すごく”時代遅れ”の恰好をしていました。ハイ・カラーをつけ、黒ずくめの服で… …」

 この短い文はデュシャンにとっての衝撃をよく現している。たとえ交遊はなくとも、ルーセ ルが稀代の洒落男であることはパリの人間なら知っているはずだからだ。自動車狂ピカビアの 向こうを張ったわけでもなかろうが、一九二五年には長さ九メートルのキャンピングカーを特 注し、あまりの豪奢さでイタリアでムッソリーニの謁見を受けさえしている。

ちなみに車の中には応接間、寝室、浴室があり、家具や金庫はおろか”ヨーロッパの全局の放 送を受信できる”ラジオまで備えつけられていた。すさまじい凝りようである。

 その洒落男がチェスを始めるに至って、古くさいモードで黒ずくめを選ぶ。いかにその頃の ルーセルが財産を食いつぶし、栄光感を求めて薬漬けになっていたとしても、これは意図的な 選択であったような気がしてならない。何よりも人目を気にし続け、前年には市松模様を敷き 詰めた八階立ての墓所さえしつらえたルーセルである。黒が何事かを意味していないことなど あり得るだろうか。

 デュシャンはその「黒」という色にこそおびえた。憧れのルーセルを目の当たりにしたデュ シャンが衣服のことにだけ言及してしまうのはそのせいである。

 想像をさらに言葉にしてしまえば、ルーセルはあからさまにチェスを始めることでデュシャ ンの目を引こうとした。墓の床を市松にし、ひそかに遺書を書きついでいながら、ルーセルは 無垢な勘にまかせてデュシャンをおびやかした。そうすることが何につながると考えていたの かはまったくわからない。

 わからないからこそ恐ろしい。

 デュシャンはそう感じたことだろう。

   



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