55-2-8(デュシャンにとってルーセルは白か黒か)



 一方的にルーセルに影響を受けたデュシャン、皮肉な静けさで世界をとらえていたデュシャ ンはしかし、その後奇怪な反撃を受ける。

 なぜかルーセルがデュシャンの目の前にちらちらと現れ始めるのだ。晩年になってチェスを 始めたルーセルのことを言っているのではない。もっとずっと以前のことである。

 ともに『アフリカの印象』を観たフランシス・ピカビアは一九一五年から二〇年の間に、 『たくさんの太陽のど真ん中の小さな孤独』というデッサンを描く。五つの円形が機械的に並 んだこのデッサンは”失われたタブロー”のスケッチだといわれる。なぜそれが失われたのか はわからないが、元は円形のひとつひとつに解説が書き込まれていたらしい。

「①僧侶の太陽、②中学校寄宿舎の太陽、③ホテルの支配人の太陽、④高級将校の太陽、⑤芸 術将校の太陽」

 東野芳明氏が指摘するように、このおかしな組み合わせは『大ガラス』下部に描かれた「僧 侶、ホテルのボーイ、胸甲騎兵……」という九体の「独身者たち」と明らかに関係している。 ということは、デュシャンは『アフリカの印象』から『大ガラス』を作り、ピカビアは『たく さんの太陽……』を描いたということになる。

 だが、ここで問題なのは影響関係ではない。気になるのは、ジュール・ラフォルグの詩から 取ったという『たくさんの太陽のど真ん中の小さな孤独』というタイトルである。なぜなら、 ずっとのちの一九三三年になって、ルーセルが突然、舞台用作品として『無数の太陽(塵のよ うな太陽)』を書き上げるからだ。

 このときルーセルはすでに『新アフリカの印象』執筆に没頭していた。だが、彼はその作業 を中断してまで『無数の太陽』を書き、強引に舞台にかける。

 いや、さらに細かく言えばルーセルは一九一三年に印刷を終えていた『ロクス・ソルス』、 すなわち「孤独な場所」という小説をわざわざ一九二二年から二三年に舞台化してもいる。 この二つの舞台がデュシャンにとって不気味でなかったはずがない、と僕は思う。

 そもそも、デュシャンたちはルーセルに影響を受けて作品を作ったのだった。チェスとして 言うなら、先手はルーセルだったである。だが、それがあたかも後手であるかのように、ある いは当てつけででもあるかのようにルーセルは「孤独」と言い、「無数の太陽」と言い出す。 デュシャンたちを追いかける。

 相手がこちらを模倣してくること。

 それはチェスで考えれば黒のひとつの常套手段である。先手で着手したはずであり、つまり は白であったはずのルーセルがなぜか黒のようにデュシャンを真似し始める。

 この不気味さは鏡の恐ろしさに似ている。

 



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