55-2-7(ソシュールにとって駒とは何か)



 例の最も長くチェスを語る箇所において、ソシュールはこんなことを言っている。

「こまの移動は、以前の均衡状態とも以後の均衡状態ともぜんぜん別個の事実である。生じた 変化はこれら二つの状態のいずれにもぞくさない。ところで重要なのは状態のみである」

 読み飛ばしてしまえばなんということもない。チェスにおいては駒が盤面から離れている間 は布陣とはいえないという意味とも言え、言語としてはそれが変化している過程、例えば「わ たし」が「あたし」と発音されるようになる過程は観察のしようがないという程度に取られて しまうだろう。

 だが、前の節で説明したデュシャンのチェスを導入すると意味はまったく違ってくる。純粋 にチェス的に考えると、ソシュールの思考の魅惑的な異様さが見えてくるのだ。

 まず「こまの移動」とは我々の理解(駒=変化)においては冗長な物言いであり、単に「変 化」としておけばよいだろう。つまりソシュールは”変化は前後の均衡状態とはまったく別の 次元にある”と言っているのだ。

 とってつけたような「ところで重要なのは状態のみである」は編者バイイ、セシュエの作為 として無視していいはずだ。素人判断を承知で言うのだが、少なくともエングラー版講義にそ のような内容はないのだし、いまやソシュールのチェスにおいて重要なのはむしろ別次元にあ る駒、変化そのものとしての駒なのだからである。

”変化は前後の均衡状態とはまったく別の次元にある”。この強烈な観念はそのまま、ソ シュールが通時態は共時態の積み重ねではないと考えていたことを明かしている。

 では、通時態はどの次元にあるのだろうか。

 いや、ソシュールのチェスにおける変化、つまり駒そのものは。

 



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