55-1-5(ソシュール生涯の概略)
彼はまた「ふたりのソシュール」としても有名である。十四歳にして『ギリシア語、ラ テン語、ドイツ語の単語を少数の語幹に還元するための試論』をあらわしてその神童ぶり を発揮し、二十一歳で『インド=ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚え書 』を出版して言語学界にその名を刻んだソシュールは、しかし三十三歳を過ぎてパリから ジュネーブに戻ると”沈黙の時期”を迎える。論文発表をすべて放棄し、手紙を書くこと さえ苦しくなったソシュールはその時期、霊媒エレーヌ・スミスが語る古代インド女王の 言葉や火星語の研究をし、またギリシア・ラテン語詩に潜むアナグラムの法則を発見する 。その法則についてはのちに丁寧に紹介するが、ひとまず”詩のテーマである一単語が必 ずバラバラに分割され、しかし所定の位置に順番通りに出現する”という奇妙なものだ。
その発見の是非を確かめるべく、ソシュールは一九〇九年の春、ボローニャ大学の教授 であり、ラテン語詩人だったパスコーリに二通の手紙を書く。一通目ではまだソシュール は核心に迫らない。二通目。ここで初めてソシュールは自らの発見の実例を書き、”あな たがた詩人は意識してそう書いているのでしょう?”と確認する。だが、パスコーリは返 事をしない。失意のうちにソシュールはアナグラム研究をやめてしまったというのが一般 的な説である。
その後、ソシュールは一九〇七年から十一年まで、三回に及ぶ「一般言語学講義」を行 う。この講義を書き取った弟子たちの手によってまとまった『一般言語学講義』こそ、言 語学の礎となり、構造主義の始まりとして思想界に大きな影響を与えた書物である。
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