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 チェスの世界で、デュシャンは芸術家というよりむしろ優秀なプレイヤーとして名をは せている。幼い頃からチェスに親しんでいた彼は、のちに国際トーナメントで祖国フラン スの主将をつとめるほどの腕前だった。チェス・プレイヤーの歴史に関する本を読めば、 ほぼ必ずデュシャンの名は刻まれている。

『チェスをする人たちの肖像』や『急速な裸体に囲まれた王と女王』など、チェスを主題 にした作品も数多いのだが、なぜか日本ではそのことを口にすると嫌がられる。あれは趣 味であって、作品の謎とは関係がないというのである。もしかしたら、将棋王国の意地な のかもしれない。

 もちろんデュシャンが趣味を作品化するような凡庸な芸術家でないことは、僕にもよく わかっている。だが、あれほどまでに長い時間チェス盤に向かっていたデュシャンが、そ こから構築した概念を作品化していないなどとは、むしろ考えにくいことである。

 僕が知る限り、デュシャンにおけるチェスと作品の関係を核心的に書いた人は松浦寿夫 しかいない。一九八三年の『ユリイカ』、デュシャン特集。松浦氏は「チェスの論理—— マティスとデュシャン」という短い文の中で「完全に頭脳の内部のみで成立するこの関数 的空間が——それこそデュシャンが『四次元』と名づけた次元ではなかろうか」と言い、 ソシュールのチェスの比喩さえ引用する。ただ、ここではチェスをまったくやらなかった マティスの称揚が行なわれ、デュシャンは劣勢である。劣勢でありながら、短く鋭い指摘 に囲まれて活き活きしている。

 もう一人、デュシャンを”四次元とチェス”から読み解いたのが中沢新一の『東方的』 だ。しかし、のちに書くようにそこにある論理は「脳には4D知覚をもたらすニューロン ・ネットワークの厚みがつくりだされる」といった記述に帰結していく。疑似科学的表現 を好んだデュシャンにならった刺激的な思考だが、そこからはむしろデュシャンの妙に厳 格な数学的観念性が消えているように思われる。

 ならば、デュシャン作品にひそむチェスの思考、チェスの次元とは一体何なのだろうか。  デュシャンはまた、死後発表した「遺作」の下に市松模様のリノリウムを敷いた。通常 見ることは出来ないが、彼は「遺作解体マニュアル」として写真と図面を遺しており、そ こにチェス盤が映し出されているのである。

 地下墓所の市松と「遺作」のリノリウム。

 死後発表する「遺作」とチェスの関係。

”ルーセルに影響を受けた”と公言するデュシャンでありながら、二人のこのあからさま な共通項の謎を語る人はいない。

 ルーセルを真似るように「遺作」を作ったデュシャンのことを僕は想像する。チェスに おいて相手の手を真似するのは、黒の常套作戦だからだ。そして、二人の生涯を追うと、 確かに不思議な白黒の反転が見えてくる。

 ルーセルとデュシャンは、果たしてどんな勝負をしていたのだろうか。

 少なくとも、ルーセルの定跡を考えることが、デュシャンの「遺作」の謎を解く鍵にな りはしないだろうか。

 ここで三人のチェス・プレイヤーの生涯を概略で追っておこう。



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