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さらに異様なのは、覚えたてにして、ルーセルが定跡をつかみとってしまうことである 。そして遺書ともいえる死後刊行本の中にその「レーモン=ルーセル式定跡」と、チェス プレイヤーたる自分に関する記事を載せるのだ。
ルーセルを誉め称えた記事はそれまでにも数々あった。だが、ルーセルはそれらを無視 する。栄光を感じた十九歳の時の写真や、長く診察を続けてくれたピエール・ジャネ博士 の著作抜粋、そして自らの書法の秘密を明かしたテキストとともに、彼はチェスの定跡を 印刷させる。そして、死後”同僚諸君”に送本する。
僕の想像では、ルーセルはとっくの昔にチェスを覚えていた。彼はなぜかそのことを隠 していたのだ。
なぜなら、ルーセルは一九三一年、『私はいかにしてある種の本を書いたか』をひそか に執筆する年、以下のような地下墓所を作るからである。四区画の八階建てで床は市松模 様。ルーセルの伝記をあらわしたカラデックも指摘する通り、これは間違いなくチェスを 暗示している。ただ、チェス盤のマス目は八×八だから、ルーセルはちょうど半分しかな い盤の中に眠ろうとしたことになる。
チェスを覚える一年前、すでにルーセルは何事かをチェスによって象徴させようと 目論んでいた。
この事実は一体何を意味するのか。
そして、チェス盤のもう半分は一体どこにあるのか。
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