55-1-13(1920)



 デュシャンがローズ・セラヴィという女性名を名乗り、あまつさえマン・レイに女装写 真まで撮らせて両性具有を装うのは一九二〇年のことである。この年、ルーセルは”世界 一周の旅”に出ている。たった一人で召使も連れず、インド、オーストラリア、ニュージ ーランド、太平洋の諸島、中国、日本、そしてアメリカを経てフランスに帰るのである。  かつてこのエピソードを知って以来、僕は日本にいるルーセルのことを様々に想像して きた。人形芝居のような大衆演劇が何より好きだった子供のようなルーセルが、日本で見 るべきものは文楽や歌舞伎しかないと思った。その年に東京で上演された演目すべてを国 立劇場の知人から電子メイルでもらいもした。

 歌舞伎には碁盤乗りという名場面がある。戦後復興したのは市川猿之助。敵役が小栗判 官を暴れ馬に食い殺させようと目論む。だが、小栗は馬を乗りこなしてしまう。敵はやっ きになり、そこにある碁盤の上に乗れるかと挑発する。すると小栗は馬を操り、小さな碁 盤の上に乗って、ついに後ろ足二本で立たせさえする。形はそのまま盤上のナイトだ。

 そのようにアクロバティックな演出が過去にあったかは記録に残っていないとはいえ、 これはまさにルーセル的な出し物である。もしもルーセルを芝居小屋へ案内していい者が いるとすればと考えて、一九二〇年の荷風の日記をつぶさに読んでもみた。フランス語が 出来て歌舞伎にくわしい人間は永井荷風しかいない。この二人が話し込む姿を僕は楽しく 妄想したものである。

 しかし、残念ながらルーセルは上演時に日本にいなかった。同じく碁盤が出てくる『金 閣寺』(此下東吉がクーデタを狙う松永大膳と碁を打ち、腹を探りあうという趣向。やが て、大膳が井戸に投げ込んだ碁笥を手を使わずに出してみよと無理難題を言うが、東吉は 見事やってのける。ある種の馬鹿らしい楽しさはやはりルーセル的だ)は逆に上演記録な し。記録のある『碁盤忠信』はルーセルと日程が合わないといった始末だ。

 ルーセル自身は一九二〇から一九二一年まで旅行に出かけていたというのだが、記録を ひもといていくとそれら演目がすべて終わった七月以降にパリを出て、なんとたった三カ 月で故国に戻ってしまったらしいのである。『八十日間世界一周』を自らやってみたいと いう思いだけがあったのだろう。記録が残っているのはピエール・ロティが美しく描いた タヒチに滞在する日々のみであり、日本に関しての思い出はまったく残されていない。

 しかし、この年に関する想像はもうひとつある。



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